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社長が訊く『ゼルダの伝説 時のオカリナ 3D』

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社長が訊く『ゼルダの伝説 時のオカリナ 3D』

オリジナルスタッフ 篇 その1

目次

7. 「これが『ゼルダ』」

岩田

わたしの印象では、
『時のオカリナ』のときに、“ゼルダらしさ”が
すごく確立した感じがしているんです。

青沼

そうなんです。
だから大変なんです、
『時のオカリナ』のあとをつくるのは(笑)。

岩田

ええ(笑)。

青沼

ただ、いまも『ゼルダ』シリーズを
つくりながら思うことなんですけど、
『時のオカリナ』の当時は、つくるのは大変でしたけど、
とてもいい時代でもあったように思うんです。
先ほども言いましたように、
前例のないものをつくっていましたから。

岩田

横に置いて、
比べられるようなものもありませんでしたしね。

青沼

だから、どこが終着点なのかもわからず(笑)。

岩田

納期がいつなのかもわからず、
時間もかかり、ですね(笑)。

青沼

ああ、それは・・・すみません(笑)。

岩田

いや、当時のわたしは、よその会社の人間で、
謝られる立場にありませんでしたから(笑)。

一同

(笑)

青沼

でも、『時のオカリナ』で試行錯誤しながらも、
日に日にかたちになっていくというのが、
仕事をしていてもすごく楽しかったんです。
「あ、こんなこともできた」ということが、
毎日のように積み重なっていきましたから。

河越

たとえば、剣で看板が切れたときも
すごく感動しましたよね。

青沼

そう。みんながしんどいときに、
入れてるんですよね。
そういうのを宮本さんが(笑)。

小泉

あれをプログラムしたのは
SRDの森田(和明)さん(※17)でしたよね。
その看板はただ切れるだけじゃなくて、
池に浮かぶんですよ、ぷかぷかと。
それを見た宮本さんが大笑いして
「これが『ゼルダ』や!」と。

岩脇

言ってましたね(笑)。

小泉

それはすごくよく覚えてます。

※17
森田和明さん=株式会社SRD 取締役・京都支社長。プログラマーとして、『ゼルダ』や『マリオ』シリーズなど、数多くのタイトルの開発にかかわる。

岩田

看板が切れるだけでなく、
『時のオカリナ』にはいろんな遊びが入っていて、
それは遊ぶほうの立場からすると、
「何これ?」とか「これってどうなってるの」みたいに
初めて体験することが、とても多かったゲームだと思うんです。
河越さん、そのようなゲームがつくれたのは
どうしてなんだと思いますか?

河越

わたしはある意味、スタッフのみんなが
“怖いもの知らず”だったんじゃないかと思ってるんです。
というのは、N64というハードを本格的に触りだして、
「きっとこんなことができるだろうな・・・」
というワクワクした気持ちで開発をはじめて、
その結果、『時のオカリナ』には
「こんなこともできるから、
じゃあ、これもやっておこう」といった
気持ちや行動がいっぱい詰まったように思ってるんです。

青沼

そうなんですよね。

河越

別の言い方をすると、前人未踏の霧のなかを
「できるに違いない」という想いだけで、
どんどん前に突っ走ったようなところもあって・・・。

岩田

いま話のあった「“怖いもの知らず”だった」
というのはけっこう大きいような気がするんです。
やりはじめる前から、「やるのは大変そう」だとか、
「時間がかかりそうだ」ということを、
言ってしまえば、あまり学んでいない集団が・・・(笑)。

青沼

学んでなかったです、本当に。

岩田

そのような集団が、あの当時、
「N64になったら、何でもできるに違いない」と信じて、
どんどん進んでいったら、いろいろ面白いものを見つけて、
それらをとにかく雑食のように取り入れて、
なんとか矛盾のないように、放り込んでいった結果、
ネタ密度の濃さにつながったんでしょうね。

河越

しかも、先ほどの月が降りてきた話のように
偶然の組み合わせでできたということも
けっこうたくさんあって。

青沼

確かに、そうでしたね。

大澤

無我夢中でやっていたら
「あ、できちゃった」みたいな。

青沼

想像していなかったのに
「こんなにできた」みたいなやつとか。

河越

そういう幸せな巡り合わせに、
たくさん出会えたような気がします。

岩田

だから、つくっている人も
日々の発見にワクワクすることができたんですね。

大澤

「そう来たか! ならば自分は」
ということも、毎日のようにありましたし。

青沼

たとえば、自分が最初に設計した
四角だの三角だのが並んでいるようななんにもない世界が、
いろんな人の手が加わることによって、
どんどんリアルなものに変わっていくという手ごたえを
毎日のように感じることができて、
うれしくてしょうがなかったんです。

河越

それができたのは、たぶん・・・
みんなが若かったからなんですよね。

青沼

えー、そのオチを言われると、返す言葉がありません(笑)。

一同

(笑)

岩田

今回のメンバーのなかで、
いちばん若いのは小泉さんだと思うんですけど、
『時のオカリナ』の当時、いくつくらいだったんですか?

小泉

僕は当時26歳か27歳くらいでした。
青沼さんは?

青沼

僕は軽く30歳を超えてましたね。

小泉

(真顔になって)
僕はこのなかで、いちばん年下だったので、
すごく居心地が悪くてですね・・・(笑)。
言いたいこともロクに言えなかったんですよね。

青沼

えー、ウソだあ! いちばん辛辣なことを
いっつも言ってたでしょう(笑)。

一同

(笑)

小泉

そうでしたっけ(笑)。
次の回の「社長が訊く」に出てくると思うんですけど、
デザイナーの春花(良紀)さんや滝澤(智)さんも
あの当時は20代前半でしたから、
とにかく熱意が持続できたところもあって・・・。
そもそも開発期間は2年半でしたから。

岩田

しかも密度の濃い2年半だったんですよね。

小泉

それくらい長いと、
どっかで息切れするはずなんですけど、
最後まで息切れしなくて・・・。

青沼

息切れしなかったですよね。

小泉

僕は毎日のように深夜残業しても、
ぜんぜん苦じゃなかったんです。

河越

だから、やっぱりみんな若かったんですよ(笑)。

大澤

でもやっぱり
昨日と今日が違うというのが楽しかったんです。

小泉

楽しかったですよね。

岩田

毎日、すごく大きな変化を味わいながら、
2年半、走り続けられたんですね。

青沼

そうですね。

小泉

総じて仕事は楽しいものなんですけど、
あのときがいちばん充実してたのかもしれないなあって・・・。
わがままもけっこう聞いてもらって仕事ができたので、
みなさんには迷惑をかけましたけど・・・
楽しかったです。

青沼

それはわがままじゃなくて、こだわりと言うんだよ。

小泉

すみません。

青沼

いや(笑)。

大澤

だから、僕は思うんです。
もし、もう一度、このメンバーで、
「『時のオカリナ』の次のやつをつくれ」と言われたら、
それは楽しいかもしれないって。

小泉

え・・・いや、それは勘弁して(笑)。

青沼

大澤さん・・・冗談じゃないですよ、そんなこと(笑)。

一同

(笑)