社長が訊く
IWATA ASKS

社長が訊く『ニンテンドー3DS』ソフトメーカークリエーター 篇

社長が訊く『ニンテンドー3DS』ソフトメーカークリエーター 篇

本文の一部を引用される場合は、必ず、本ページのURLを明記、
または本ページへのリンクをしていただくようお願いいたします。

第15回:『KINGDOM HEARTS 3D [Dream Drop Distance]』

目次

1. 『マリオ64』の衝撃

岩田

今日はありがとうございます。
よろしくお願いします。

野村

よろしくお願いします。

岩田

野村さんとこうして
お会いするのははじめてですね。

野村

そうですね、はい。

岩田

これまでご縁がなかったんですが、
昔から一度、お話してみたかったんです。

野村

あ、そうですか。

岩田

ちょっと話のスタートとして、
『シアトリズム』(※1)について伺いたいんですが、
先日、プロデューサーである間(はざま)さん(※2)
お会いしてお話を訊いていると

「間さんのメンター(師匠)は野村さんなんだなぁ」
と感じたんです。

野村

あ、はい。友人ですけどね。

※1
『シアトリズム』=『THEATRHYTHM FINAL FANTASY』。2012年2月、ニンテンドー3DS用ソフトとして発売されたシアターリズムアクションゲーム。
※2
間一朗(はざまいちろう)さん=株式会社スクウェア・エニックス在籍。『THEATRHYTHM FINAL FANTASY』のプロデューサー。

岩田

間さんにとって、野村さんこそが
「ものづくりの指針を示す人」という存在に感じましたが、
野村さんは『シアトリズム』のアイデアを間さんから聞いたとき、
どんなふうに感じましたか?

野村

うーん・・・。
「開発からは出ないアイデアかな」と思いましたね。

岩田

ああ、なるほどね。
「普通にゲームをつくってきた人は、
 ああいう発想はしない」ということですか。

野村

はい。もっと違う視点から詰めて考えるんですけど、
彼は「これまでの映像を使ってゲームをつくりたい」
という発想から考えていたんです。
その着想はおもしろかったんで、
「いいんじゃないか」って伝えました。

岩田

その言葉が間さんの支えになっている感じがしました。
間さんが、
「ものをつくる人はすごい。
 ずーっと一人きりで暗い道をゴールを信じて進んでいく。
 自分が彼らほど歩けるようになるにはまだ時間がかかるけど、
 そういうことをやれる人のことを本当に尊敬している」
という趣旨のお話をされていて、
わたしもすごくおもしろかったんです。

野村

・・・やっぱり自分にないものがあれば、
話をしていてもおもしろいですよね。
僕も彼と話していると
自分たちにはないものを感じます。

岩田

また、『シアトリズム』が世の中の評価を確立したキッカケは、
体験版(※3)をうまく活かせたことだと思うんです。
体験版は野村さんが提案された、ということですが、
その心を訊いてみたいです。

※3
体験版=『THEATRHYTHM FINAL FANTASY』体験版は、ニンテンドーeショップにて配信中。また、全国のお店でも体験できます。お店での体験について、詳しくはこちら。なお、体験版は予告なく終了になる場合がございますので、あらかじめご了承ください。

野村

そうですね・・・。
毎年、ゲームのイベントがありますよね。
僕は、お客さんの反応は見るようにしているんですけど、
『シアトリズム』の初試遊のとき、
お客さんの列がすごかったんです。
遊んだ方も「おもしろい」「何回も並んだ」
とブログやツイッターに書いてくれていて、
初日からかなり手ごたえを感じたので、
「遊んでもらった方が印象はよくなる」と思いました。

岩田

「触ってもらったほうがいいんだ」と確信したんですね。

野村

はい。それで「体験版をやろう」って話をしました。

岩田

野村さんは、お客さんの反応を
よく見ていらっしゃるんですか?

野村

そうですね。
試遊も当然、見ていますけど、
PVを流しているときも反応を見ています。
お客さんの反応で「ここが響いているな」ってわかるので、
毎回確認するようにしています。

岩田

自分の中で反応してもらいたいイメージと、
現実のお客さんの反応とは当然、ズレがありますから、
それを補正することを日々、くり返しているんですよね。
野村さんの周りで、それは伝統的にされているんですか?

野村

自分たちがつくったものに対して
ダイレクトに反応が伝わる場なので、
以前からそうしています。
主要メンバーにも、
お客さんの反応を見るようには言ってます。

岩田

誰に教わるでもなく、そうされたんですね。
表現者って、ただお客さんがほしいものをつくるわけじゃなくて、
あえてそれを裏切ったりとか、
世の中のメインストリームとは違うことをやったりしますよね。
一方で、お客さんの反応はすごく見ていて、
自分のイメージと実際の反応とをすり合わせながら、
ものをつくりつづけているんですよね。

野村

そうですね。

岩田

・・・いまの話だけでも、わたしの知らなかった
野村さんの一面がちょっとわかりました。
自分もわりとそうしているので。
すごく共感できます。

野村

あ、そうですか(笑)。

岩田

では『キングダム ハーツ』(※4)の話ですが、
10年間ですごく壮大なお話になってきましたね。
この『キングダム ハーツ』が、
野村さんにとっての初ディレクション作品ですよね。

野村

はい。

※4
『キングダム ハーツ』=野村哲也さんが手がけるアクションRPGシリーズ。第1作目は、2002年3月に発売された。ディズニーの世界を題材とした世界観で制作されているのが特徴。

岩田

ディズニーという、ある意味、
世界一キャラクター監修がきびしいところと、
自分たちのつくってきたものを
同じ世界に放り込むようなことをされていますけど、
昔、わたしも『スマブラ』(※5)をつくるときに
似たような体験をしたので
「大変だっただろうな」と、思うんです。
まず、どういうふうにはじまって、
どうやって乗り越えていったのか、興味があります。

※5
『スマブラ』=『大乱闘スマッシュブラザーズ』。1作目は1999年1月、NINTENDO64用ソフトとして発売された対戦アクションゲーム。

野村

まず同じビルに入っていて・・・
という話はよく言われていますが、
ディズニーさんといっしょにゲームをつくる、
という発端はそもそもあったんです。
あるとき、橋本(真司)さん(※6)
坂口(博信)さん(※7)の2人が話しているところに、
なぜか自分もいたんです。

※6
橋本真司さん=スクウェア・エニックス ホールディングス コーポレート・エグゼクティブ。旧スクウェア時代からプロデューサーとして『ファイナルファンタジーVII』をはじめ多くの作品を手がける。
※7
坂口博信さん=『ファイナルファンタジー』シリーズの生みの親。2001年に独立し、ゲーム開発会社・ミストウォーカーを設立。

岩田

偶然、3人でおられたんですか?

野村

そうです。
僕はぜんぜん別の話で呼ばれたんですけど、
そのときに橋本さんと坂口さんが
ディズニーとの話をしていて、
「ミッキーがいいけど使えない」みたいな
やり取りをしていたんです。
それで「あ、それ自分がやりたいです」
って手を上げたことが発端です。
ただ僕は、そのときミッキーのゲームを
つくる気はぜんぜんなかったんですけど・・・。

一同

(笑)

野村

「じゃあ哲にちょっとやらせてみるか」みたいな
その場の流れになりました。

岩田

手をあげた背景として、
野村さんの興味はどこにあったんですか?

野村

もともと、僕が『FFVII』(※8)をつくっていたとき、
ちょうど『マリオ64』(※9)が世に出て、
フル3Dの空間を自由に走り回れることに
すごい衝撃を受けたんです。
「そういうゲームをつくりたい」ってほかのスタッフと話したら、
「いや、マリオはもう世界的キャラなんだから、
 いまから新キャラなんかつくったところで無理だ」
と言われたんです。

※8
『FFVII』=『ファイナルファンタジーVII』。1997年1月に発売された、シリーズ7作目のナンバリングタイトル。
※9
『マリオ64』=『スーパーマリオ64』。1996年6月、NINTENDO64用ソフトとして発売されたアクションゲーム。

岩田

“マリオには対抗できない”ということですか?

野村

はい。そのとき話していた相手が、
「ディズニーさんぐらいすごいキャラクター力を
 持っているものじゃないと無理だ」
って言っていたのが、頭に残っていたんです。
で、ディズニーさんとやるという話を聞いたんで、
「じゃあ自分がやりたい」と・・・。

岩田

頭の中で、それがくっついたわけですか・・・!
ポイントは『マリオ64』の衝撃と、
「ディズニーさんぐらいのキャラクター力じゃなきゃ無理だ」
と聞いていたことと、ミッキーのゲームという話が
頭の中でスポーンとくっついて、手を挙げたんですね。

野村

そうです(笑)。

岩田

うーん、ご縁は不思議です!

野村

(笑)