社長が訊く
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社長が訊く『ニンテンドー3DS』ソフトメーカークリエーター 篇

社長が訊く『ニンテンドー3DS』ソフトメーカークリエーター 篇

第5回:『スーパーストリートファイターIV 3D EDITION』

目次

1. 親父との絆

岩田

今回は、カプコンさんの『ストリートファイターIV』(※1)
つくられた小野さんからお話をお訊きします。
小野さん、ご足労いただきありがとうございます。

小野

はい、よろしくお願いいたします。

※1
『ストリートファイターIV』=2008年にアーケード、2009年に家庭用ゲーム機で発売された対戦型格闘ゲーム。前作から約9年ぶりにつくられたシリーズ4作目。

岩田

今日は『スーパーストリートファイターIV 3D EDITION』(※2)
についてお訊きしたいのはもちろんなのですが、
商品というものを理解するには、
それにかかわった人がこれまで何を経験してきて、
どんなことを考えてこの商品ができたのかを
知ることも大事なはずなので、
まずは小野さんとビデオゲームの出会いの話から
お訊きできればと思っています。

小野

はい、了解しました(笑)。

※2
『スーパーストリートファイターIV 3D EDITION』=2011年2月26日、ニンテンドー3DSと同日発売予定の『ストリートファイター』シリーズ最新作。

岩田

小野さんとビデオゲームの出会いはいつごろでしたか?

小野

ハッキリと記憶があるのは、やっぱり『インベーダー』(※3)です。
うちの家族は、日曜日の朝に近所の喫茶店に出かけて
モーニングを食べる習慣があって、
その喫茶店に『インベーダー』があったんです。

※3
『インベーダー』=『スペースインベーダー』。1978年に登場したアーケードゲーム。

岩田

それはいくつのときですか?

小野

小学校の3年生ぐらいだと思います。
プライベートな話をすると、うちの親父は建築士で、
母親も働いていたんですね。
僕も土日は塾や野球に行っていたのでけっこう家族がすれちがっていて、
日曜日の朝ぐらいはガッツリ会わないとねってことで・・・。
うちの親父も技術屋ですし、
当時のテクノロジーの先端だったゲームには
すごく興味を持っていたので、対面して遊ぶところから、
ゲームで競う楽しみ、みたいなものに出会ったんです。

岩田

ビデオゲームがつないだ「親父との絆」、ですね。

小野

まあ、日曜の朝の男同士ですから
決して会話が弾むわけではないんですけど(笑)。
でもそこでのコミュニケーションと、競い合うところが、
はじめて電子的なものからグッときたんです。

岩田

ああ、小野さんにとって競い合うことの原点なんですね。
競うのはうまくなりましたか?

小野

はい。子どものころは、僕も動体視力がよかったですし(笑)。
いちばんよかったのは、近所に『インベーダー』がある店が
何店舗かできはじめたことでコミュニティが生まれて、
「どのタイミングに高得点のUFOが出る!」とか条件を聞き込んで、
親父との対戦で実践できたことなんです。

岩田

ああ、最初から23発目の弾と、その後15発おきの弾で
UFOは高得点になりましたからね。
その後、家庭用ゲーム機と出会うのはいつごろですか?

小野

多分『インベーダー』や、
その亜流的なタイトルがLSIゲーム(※4)になったころですかね。
もう喫茶店のテーブルに100円積まなくてもよくなったんです。
もう親父の肩を、2時間も揉まなくてもいいんですよ(笑)。

※4
LSIゲーム=電子ゲーム機のこと。

岩田

当時は、喫茶店のテーブルに100円玉を積んでいましたよね。

小野

そう、当時は100円をたくさんテーブルに積んでいる
高校生や大学生たちが、大人に見えましたねえ。
それが家庭用ゲーム機として家庭に入ってきたころ、
僕はだんだん、興味がパソコンへ流れたんです。
「自分でつくったらタダじゃん」ってところから、
パソコンでゲームをつくりはじめたんです。
ただ、パソコンって高額でなかなか買ってもらえないですから。
電器屋さんに行って展示されているものを触りながら、
ゲームをつくることと、対戦をすることが楽しいってことに
目覚めていったんです。
その同時期くらいにファミコンが登場したんですけど、
じつは僕、当時はパソコン派でした。

岩田

「パソコンと比べたらファミコンなんて」、ということですか?

小野

やっぱりパソコンを使っているというプライドがあったんです。
でも当時、ナムコさんのタイトルのいくつかを見て、
「これどうしているんだろう?」とは思っていました。
絶対に書いてあるスペックでは出そうもない画像や動きでしたから。

岩田

パソコンでプログラムをやっていたからこそ、わかるんですね。
ファミコンは家庭用のおもちゃのはずなのに、
パソコン以上に妙に絵がスムーズに動いていたり、
ゲームセンターのゲームがかなり忠実に再現されたりしていて、
「いったいどうなってるんだ?」ということですよね。

小野

そうなんです。
それが衝撃だったのでファミコンをやりはじめたんです。
だから僕はみんなより、はじめたのが遅かったんですね。
みんなが『ドンキーコング』(※5)や『マリオブラザーズ』(※6)
遊んでいるあたりからカセットを集めていったんですけど、
僕の興味は面白さより、テクノロジーのほうだったんです。
当時、VRAM(※7)の制御がよかった「X1」という
シャープさんのパソコンで、どうやったら再現できるのか、
いろいろと当時発売されていたソフトを
逆アセンブル(※8)して調べていました。

※5
『ドンキーコング』=1983年にファミコン用ソフトとして発売されたアクションゲーム。
※6
『マリオブラザーズ』=1983年にファミコン用ソフトとして発売されたアクションゲーム。
※7
VRAM=ディスプレイに表示する画像データを一時的に蓄積するメモリー。
※8
逆アセンブル=マシン語(数字の羅列)を、人間が読解可能なアセンブリ言語に逆変換すること。アセンブリ言語はプログラミング言語の種類のひとつで、コンピューターが直接解釈・実行できるマシン語と1対1に対応した最もコンピューターに近い言語。

岩田

逆アセンブルですか、懐かしいですね。
わたしは最初に手に入れた「PET」という大昔のパソコンを
逆アセンブルして解析した思い出があります。
当時はプリンターがないから、画面に出して全部手で書き写す
という信じがたいことをしていました(笑)。
それで、なかで何をやっているかすべてわかったんです。

小野

うわあ、すごいですね(笑)。

岩田

そうしたら、そのパソコンとファミコンのCPUが
偶然にもいっしょだったんです。
だからわたしが任天堂とはじめて仕事をしたとき、
任天堂社内の誰よりも6502(※9)のことに詳しかったんです。

※9
6502=アメリカのモステクノロジー社が1975年に発表した8ビットCPU。パーソナルコンピューターのApple IIやPET 2001に搭載され、ファミコンにはその互換CPUが搭載されていた。

小野

ああー、なるほど(笑)。
僕も、当時プログラムのことを覚えたおかげで、
いまプログラマーの方と話すとき、
ある程度の原理的なことはわかるんです。

岩田

デバッグで役立ちますよね。バグが発生したとき、
「きっとこういうことが原因で出ているのでは?」
と勘が働きますし。

小野

あと、プログラムをいじっていいところと悪いところの
判断がつきますよね。

岩田

ここはいじってもほかに副作用はしないだろうとか、
ここは触るとあっちもこっちもタイミングが変わるから
副作用が出るかもしれない、とかの判断がつくということですよね。

小野

ええ、まさにプログラマーとシンパシーを感じるところです(笑)。