社長が訊く
IWATA ASKS

社長が訊く『ニンテンドー3DS』ソフトメーカークリエーター 篇

社長が訊く『ニンテンドー3DS』ソフトメーカークリエーター 篇

第6回:『Project ラブプラス for Nintendo 3DS(仮称)』

目次

1. 「お義父さん(おとうさん)」と呼ばれて

岩田

今日は『ラブプラス』(※1)シリーズのシニアプロデューサーである
KONAMI(※2)の内田さんにお訊きします。
内田さん、ご足労いただきありがとうございます。

内田

はい、よろしくお願いいたします。

※1
『ラブプラス』=2009年9月、ニンテンドーDS用ソフトとして発売されたコミュニケーションゲーム。現在、シリーズ最新作『Project ラブプラス for Nintendo 3DS(仮称)』をニンテンドー3DS用ソフトとして開発中。
※2
KONAMI=株式会社コナミデジタルエンタテインメント。

岩田

あの・・・内田さんは、ファンのみなさんから
“義理の父”と書いて“お義父さん(おとうさん)”という
愛称で呼ばれていますよね。

内田

ええ、はい(笑)。

岩田

これはゲーム業界はじまって以来のことかと思うんですが、
はじめてあの愛称で呼びかけられたとき、
「えらいことが起きたな」と思われませんでしたか?

内田

いや、おっしゃるとおりです。
でも最初は、何を言われているのかよくわからなくて・・・。
ちょっと前に、プライベートで子どもが生まれたので、
そのことを言われているのかなって(笑)。

岩田

でも“義理”はないだろうと(笑)。

内田

そうしたらディレクターから
「いま、ちまたでは勝手にそう呼ばれているんですよ」
と聞きました。

岩田

わたしはあの愛称が生まれて広がったのを目にしたとき、
「すごいことになっているんだな・・・」と感じたんです。
わたしがはじめて『ラブプラス』を拝見したのは、
『みんなのニンテンドーチャンネル』(※3)の動画でした。

内田

はい。

※3
『みんなのニンテンドーチャンネル』=Wiiチャンネルのひとつ。Wiiショッピングチャンネルからダウンロードできる(無料)。WiiやニンテンドーDSなどに関する動画や、体験版などを楽しめるチャンネル。

岩田

そのとき最初に
「このソフトを世の男性たちがさわったら、
 どんな表情になってしまうんだろうか・・・
 みんな、はたして帰ってこられるだろうか・・・」
と恐ろしく感じたんです(笑)。

内田

はい(笑)。

岩田

そのときの感覚がまちがっていなかったことは、
のちに証明されたように思っているんですが、
この『ラブプラス』を手がけるまでに、
内田さんはさまざまなことを経験されて
ここに至るわけですよね。
今回は『ラブプラス』のことはもちろん、
そういったお話もいろいろとお訊きしたいと思っています。

内田

わかりました。

岩田

まず、内田さんがはじめてコンピューターゲームと
出会ったのはいつごろでしたか?

内田

やっぱり原体験はゲーム&ウオッチ(※4)です。
あのころは1ハード1ソフトの時代でしたから、
お年玉を全部つぎこんで(笑)。
友だちや兄弟とも、よく貸し借りしたのを覚えています。
その次がアーケードの『ドンキーコング』(※5)とかですね。

※4
ゲーム&ウオッチ=1980年に発売された任天堂初の携帯型ゲーム機シリーズ。
※5
『ドンキーコング』=1981年にアーケードで登場したアクションゲーム。

岩田

そのころ、内田さんはおいくつぐらいですか?

内田

確か小学校の高学年だったと思います。
それから中学生のときに
ようやくファミリーコンピュータが出たんです。

岩田

アーケードで遊んだゲームを、
何度でも家で遊べることが
家庭用テレビゲーム機の魅力でしたよね。

内田

本当に信じられないような体験でした。
「100円払わなきゃいけないはずなのに、
 家では何回もやっていいの?」っていう(笑)。

岩田

ファミコン時代には、
内田さんはどんなゲームがお好きだったんですか?

内田

あの、じつはちょっとやんちゃ坊主だった時期がありまして・・・(笑)。
ちょうどファミコンが出たくらいから、
バンドをやったりするほうが楽しい時期に入っていって、
ゲーム文化からちょっと離れてしまったんです。

岩田

“お義父さん”には、“やんちゃな青春時代”があったんですね(笑)。
内田さんは、大学のご専門は何ですか?

内田

経済学部です。
海外旅行が大好きだったので、旅費をかせぐために
大学生のときにはじめたのがプログラマーのアルバイトで、
オフィスオートメーションや工場のプログラムを組んでいました。

岩田

経済が専門でも、学生時代から実務で鍛えていたので、
プログラムの知識は人並み以上にあったんですね。

内田

はい。独学とか、職場で教えてもらって覚えました。
卒業したのがちょうどバブル期最後でまだ景気のいいころで、
「就職は卒業してから考えればいいや」
くらいに思っていたんですが、
卒業したらバブルがはじけて世の中が一変したんです。
それであわてて(笑)、縁あってKONAMIを受けました。

岩田

“お義父さんの青春時代”面白いですね(笑)。
入社のときは何年ですか?

内田

93年です。
でも、本当に恥ずかしながらゲームを知らなかったんです。
当時、ゲームっていうのが脚光を浴びていたのと、
IT系では華やかな職種だったからという、
ちょっと不純な動機だったんです。
だから書類審査に受かったとき「まずい!」と思いまして、
ゲームショップで『バットマンリターンズ』(※6)を買って、
面接の前日に一生懸命やったんです。
で、面接時に「君はどんなゲームをやるの?」と聞かれて、
僕は「『バットマンリターンズ』です!」と答えました。

※6
『バットマンリターンズ』=1993年に、KONAMIからスーパーファミコン用ソフトとして発売された横スクロールアクションゲーム。

岩田

はい(笑)。

内田

そこからは「『バットマンリターンズ』が大好き」ということを
押しとおしてなんとか入社できました(笑)。
入社後は、「ピクノ」(※7)という子ども向けの専用ソフトを、
ひとりで企画してプログラムを組んでいたんですが、
そのうち3D技術を身につけたプログラマーが必要ということで、
そういったゲーム制作にもかかわりはじめました。

※7
「ピクノ」=KONAMIから発売された幼児向けの電子玩具で、テレビ画面を利用したお絵描き遊びができる。

岩田

3D技術のことは、その時点でおわかりだったんですか?

内田

いや、もう全然、白紙の状態でした。

岩田

では、あえてこういう言い方をしますけど、
“生き残るために3Dプログラミングを必死で学ぶしかなかった”
ということなんですね。

内田

おっしゃるとおりです。
とんちのきいたアルゴリズムを組んでいれば、
なんとかしのげた時代じゃ、もうなくなっていたんです。
2~3年ぐらい経つと数学の得意なプログラマーがどんどん入ってきて、
自分の得意分野じゃないところで戦わなきゃいけないという、
非常に厳しい状況におちいったんです。
それで
「これからなんとかやっていくにはどうしたらいいですか・・・?」
ということを上司に相談しましたら、
「企画を考えるディレクターをやりなさい」と提案されて、
僕は「やります、やります、何でもやります」と即答したんです。
「何でもやるな?」「はい、何でもやります」と。
そこで紹介されたプロジェクトが、
『ときめきメモリアル』(※8)を女性向けに制作した
『ガールズサイド』(※9)だったんです。

※8
『ときめきメモリアル』=1994年にKONAMIから発売された恋愛シミュレーションゲーム。
※9
『ガールズサイド』=『ときめきメモリアル Girl’s Side』。2002年にKONAMIから発売された学園恋愛シミュレーションゲーム。2007年、ニンテンドーDS用ソフトとして『ときめきメモリアル Girl's Side 1st Love』が発売された。

岩田

内田さんと恋愛ゲームとの出会いは、
自分から進んでそこへ突き進んでいったわけではなく、
またあえてこんな言い方をしますが、
“流されていたらそこに着いてしまった”ということなんですね。

内田

そのとおりです。
もう、流されるままに生きてきたところがあって、
本当にすみません・・・(笑)。

岩田

いや、その、謝っていただかなくても(笑)。

内田

そのころに、ひとつ面白いエピソードがあって、
僕がまだ「ピクノ」をつくっていたとき、
PCエンジンの『ときめきメモリアル』が出たんですね。
そしたら新入社員の若い子たちが、
朝から買いに行って会社に遅刻してくるわけですよ。

岩田

「どうなっているんだ?」と思われたわけですね(笑)。

内田

「何やってんの、君たち!」って言ったら、
「今日は『ときめきメモリアル』の発売日じゃないですか!」
って逆に言われまして・・・。
恥ずかしながら、僕はちゃんとチェックしていなくて、
「『ときめきメモリアル』・・・あー、あるねー・・・
どういうものなの?」って訊いたら、
「これこれこういう女の子がいて、最後には告白されるんですよ!」って
言われたので、僕はポカーンとしまして、
説教したことをよく覚えています(笑)。
そんな僕が、何年後かには女性向けの『ガールズサイド』をつくり、
いまや“お義父さん”と呼ばれる立場になるとは、
当時の僕は夢にも思っていませんでした。

岩田

いやあ、人生のご縁というのは何と不思議なものでしょうね。

内田

ええ・・・本当に、不思議です。