インタビュー

桜井政博さんが訊く 『ファイアーエムブレム 新・暗黒竜と光の剣』

〜はじめに〜

岩田
みなさん、こんにちは、任天堂の岩田です。
DSで初めての『ファイアーエムブレム』が発売されることになり、
その魅力をみなさんに紹介したいと考えていたのですが、
ちょうど、私はロサンゼルスで開催されたE3での発表のために
アメリカに発たねばならない時期と重なり、
「今回は時間的に無理かなぁ」とあきらめかけていたとき、
ひとつ突拍子もないことを思い立ちました。
 
それは、「スマブラ」でみなさんにもおなじみの
有限会社ソラの桜井政博さんにお願いして、
『ファイアーエムブレム 新・暗黒竜と光の剣』の魅力について
シリーズで長年プロデューサーを務めておられる
インテリジェントシステムズの成広さんに
話を訊いてもらおうというものでした。
桜井さんにお願いすることを思い立ったのは、
桜井さんがファイアーエムブレムの世界に精通していることを
スマブラの制作を通じて、強く感じていたからです。
そのとき、私の脳裏に浮かんでいたのは、
2002年8月のHAL研究所主催の
『スマブラDX』のオーケストラコンサートのときに、
ステージ上で『ファイアーエムブレム』の歌をうたっていた
桜井さんの姿でした。
 
ということで、私がE3に出かけている間に取材してもらい、
みなさんに『ファイアーエムブレム 新・暗黒竜と光の剣』について
お伝えすることになりました。
私とは異なる角度から、
そして人一倍「ファイアーエムブレム」に思い入れのある桜井さんなりの視点で
成広さんから面白い話を訊いてもらえたのではないかと思います。
 
みなさんからは唐突な取り組みに感じられるかもしれませんが、
どうぞお付き合いください。よろしくお願いいたします。

1.18年前の話

桜井
こんにちは。有限会社ソラの桜井です。
岩田さんがわたしに今回のお仕事を要請した理由は
冒頭でお言葉があると思います。
依頼を受けたわたしとしては、フリーの立場として
いままでなかったタイプのお仕事なので、
とても興味を惹かれました。
うまく出来るかどうかは別として、
まずはやってみようと思いまして、
任天堂本社のある京都までやってきました。
ただ、「社長が訊く」というコーナーは
岩田さんだからこそ成り立っている企画だと思います。
社長のマネをしようとしてもムリですので、
わたしなりの立場で聞き手にまわって、
『ファイアーエムブレム 新・暗黒竜と光の剣』の話を
たっぷり、じっくり聞いてみたいと思います。
それでは成広さん、よろしくお願いいたします。
成広
お手柔らかにお願いします。
桜井
で、まずは(※1)について
聞いてみましょうか(笑)。
成広
あははは(笑)。いきなりマニアックな質問ですね。

※1 僧侶リフ=ファミリーコンピュータ版『暗黒竜と光の剣』で登場したキャラクター。続編のスーパーファミコン版『紋章の謎』では登場しないが、今回のリニューアルで再び登場している。

桜井
うそうそ。冗談です(笑)。
まず、成広さんの自己紹介からお願いします。
成広
インテリジェントシステムズの成広です。
今回の『新・暗黒竜と光の剣』では、プロデューサーを担当しました。
桜井
成広さんが所属するインテリジェントシステムズは、
『ファミコンウォーズ』や『マリオストーリー』、
そして『ファイアーエムブレム』シリーズなどのソフトを通して
知ってる人が多いと思うんですけど、
もともとファミコンゲーム開発者の中で有名な会社でしたよね。
成広
そうですね。もともとうちの会社は
ゲームソフトの開発会社というよりは、
開発ツールメーカーとして知られている会社でしたからね。
桜井
わたしがHAL研究所に入社したとき、
ファミコンの開発機材が置いてあって、それにことごとく
インテリジェントシステムズのロゴがついていたんです。
こういった機械が置いてあるのは、
HAL研究所はインテリジェントシステムズという会社と
仲がいいからだろうか、と思ったこともあったのですが・・・。
成広
一般のお店で売ってるような商品ではないですからね。
桜井
しかしHAL研究所だけでなく、
ファミコンソフトを開発しているいろんな会社が、
インテリジェントシステムズの開発ツールを
使っていたんですよね。
成広
開発ツールをつくりはじめたのは、
任天堂さんがファミコンを立ち上げる時期からです。
いまと違って当時は、パソコンが普及していませんでしたので、
ソフトにしても、機材にしても、何もない時代だったんです。
だから、自分たちでつくるしかなかったんですね。
たとえば絵を描くためのグラフィックソフトも
自分たちで工夫してつくっていましたから。
桜井
おかげですごく助かりました(笑)。
ちなみに成広さんのデビュー作は?
成広
任天堂さんのファミコンロボット(※2)『ジャイロセット』の
開発のお手伝いがはじまりだったと思います。
桜井
おお・・・。スゴイ。
『ジャイロ』が出たのって、確か1985年でしたよね。
成広
そうです。ファミコンロボットの『ブロック』が出て、
その直後に『ジャイロ』が出たんです。

※2 ファミコンロボット=ファミコンと連動し、ワイヤレスで動かすことができた周辺機器。『大乱闘スマッシュブラザーズX』にも登場。

桜井
その当時、わたしはまだ高校生でしたから、
成広さんはものすごい大先輩、ということになりますね。
成広
歳だけは重ねています(笑)。
『ジャイロ』のあとも、任天堂さんのお手伝いという感じで、
アメリカで出した業務用ソフトとか、
いろんなタイトルに関わりました。
そこでシミュレーションゲームをつくるようになって、
まず『ファミコンウォーズ』(※3)を出し、
RPGのような世界観が楽しめる
シミュレーションゲームをつくれないかということで、
『ファイアーエムブレム』をつくるようになったんです。

※3 『ファミコンウォーズ』=1988年8月に、ファミコンソフトとして発売された戦略シミュレーションゲーム。

桜井
成広さんは、『エムブレム』第1作目の
『暗黒竜と光の剣』(※4)にはどのように関わったのですか?

※4 『暗黒竜と光の剣』=1990年4月に、ファミコンソフトとして 発売されたシミュレーションRPG。

成広
もともと僕はプログラマーだったんです。
とは言っても、何でもやる雑用係のようなことをやっていました。
当時はそれほど大きなプロジェクトではありませんでしたので、
職制に関係なく、みんないろんな仕事をしていたんですね。
プログラマーがサウンドをつくるのも当たり前の時代でしたし。
桜井
昔はディレクターが絵を描いたりもしていて、
仕事の垣根があまりなかったんですよね。
成広
実は当時、ファミコン本体だけでは
シミュレーションゲームを動かすことができなかったと
いうことがありまして・・・。
桜井
と言うと・・・?
成広
シミュレーションゲームは
プログラムで使用するメモリが膨大になりますので、
ファミコン本体のメモリだけでは足りないんです。
そこで、セーブ用のメモリの一部を使用することによって
ゲームを動かしていたんです。
桜井
なるほど。
成広
文字表示に関しても、
漢字を使うことのできるチップを積むようなことをして・・・。
ですから、任天堂でハードをつくっていた人たちと協力しながら、
わたしはオブザーバーのような立場で、
ファミコン版の『暗黒竜と光の剣』の開発を進めていました。
桜井
まさに何でもやっていたんですね。
成広
ところで桜井さんは、
ファミコン版をリアルタイムでプレイしたんですか?
もう18年も前のことになりますけど。
桜井
もちろんです。『暗黒竜と光の剣』に関しては
忘れられないキッカケがありまして・・・。