ディスクシステムの生みの親 上村雅之氏インタビュー
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「やればやるほど ディスクシステム♪ ピコーン♪」というCMがいまでも耳に残るほど、大きな影響力を持っていたディスクシステム。当時遊んでいたユーザーも、いまのユーザーから見ても、謎に包まれた部分があるかもしれません。今回はディスクシステムの生みの親である上村氏にインタビューしてきました。現在は大学で教鞭も取っているそうで、どんなお話が聞けるか楽しみです。

上村雅之【任天堂株式会社 アドバイザー/立命館大学大学院 先端総合学術研究科 教授/東京工芸大学 アニメーション学科 非常勤講師】上村雅之【任天堂株式会社 アドバイザー/立命館大学大学院 先端総合学術研究科 教授/東京工芸大学 アニメーション学科 非常勤講師】上村雅之【任天堂株式会社 アドバイザー/立命館大学大学院 先端総合学術研究科 教授/東京工芸大学 アニメーション学科 非常勤講師】


ファミコン誕生からディスクシステムへの流れ
N.O.M ディスクシステム誕生までの経緯を教えて下さい。
上村 もともと私はシャープ株式会社の社員で、自分で開発した半導体の部品を売り歩いていたんですね。そのセールス先のひとつが任天堂で、"光線銃"という商品の電子回路を受託したことがご縁で、その後、任天堂へ入ることになりました。ディスクシステム誕生の前に、まずファミコンがあるわけですが、それ以前にビデオゲーム開発の責任者をやっていまして。それで、社長が「アーケードゲームがテレビ画面でも遊べるようなものを作れ」ということを言いまして、そこからファミコン開発がスタートしたんです。
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N.O.M ファミコン以前に『ゲーム&ウォッチ』が大ヒットしましたよね。
上村 そうです。社長にファミコン開発を言い渡されたのが、ゲーム&ウォッチ全盛の1981年頃ですね。人気商品は必ずコピー商品が出て市場が飽和状態になりますから、それを見越してのことでした。ファミコンにあたるものの開発には、いろいろ考えましたよ。当時アメリカでは『ATARI2600』が大ブームでしたから、それを参考にしようかなと思ったんですよ(笑)。でも、蓋を開けたらあまりにクオリティが低いので、アーケード並みのレベルを求めて一から作ろうと決心したわけです。
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N.O.M 発売されたファミコンは空前のブームを巻き起こしましたが…。
上村 もともとファミコンのソフトは、全て自社で作るつもりだったんです。でも紆余曲折あって、サードパーティーが参入することになりまして(笑)。ライバル社が増えていき、ゲーム業界はグラフィックや音の競争になっていきました。音と絵を追求するには、必然的にメモリの容量が必要になってきますが、当時使用されていたチップではもう限界という所まで来ていたんです。この頃が半導体業界のピークでしたね。ワープロやパソコンが売れ、ゲーム用にはなかなか回ってこない。そして半導体バブルで価格が高い。「じゃあどうしよう」というのがディスクシステム開発の入り口だったんですよ。大容量のゲームを求めての戦略でした。


セーブ、書き換え、安価というキーワード
N.O.M 制作には1年ほどということでしたね。
上村 そうですね。やっとできたと思って、出荷直前になったら「ゲームのデータが全部消えました!」という大きなバグが報告されて、真っ青になったり(笑)。何日も徹夜して原因究明をしましたが、ある手順である動作をさせると起きるバグだとわかるまで、本当にどうなることかと思いました。ディスクライターでも似たようなバグが発生して、一部書き換えのためにディスクを差し込んだら、データが全消去…なんてこともありましたねえ。
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N.O.M どうしてディスクを採用されたんでしょう?
上村 ディスクカードまず容量があり、書き換えができること、ゲームのデータが欲しい人に安く供給できること、データをセーブできることが必要だったので、その候補媒体はいくつかありました。カセットテープにしようかという話もあったし、当時は5インチのフロッピーディスクが主流で、やっと3.5インチのものが出だした頃でしたから、フロッピーディスクもいいねと。原価面からいっても、磁気の方が良かったんですね。するとミツミ電機さんが「こういうものを作ったんだけど、使ってくれませんか」と言って持ってきたものが"クイックディスク"。同心円上にデータを書き込むのではなく、らせん状になっているおもしろい商品で、ハードが安価でかつ耐久性の強いものでした。
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N.O.M ディスクシステムが終了するまで、なにがあったんでしょう。
上村 周辺機器としては非常に売れたんですが、ここで皮肉にもというか、半導体の過剰生産によって半導体価格は下落し半導体業界は大打撃を受けました。しかし、ゲーム業界は元気でしたから、「ゲームでぜひ使って下さい! 安くて大容量のチップ作りますから!」と言ってくるようになったんです(笑)。もう、そういう流れになっていたんですよね。ディスクシステムも、はじめは500円という安価でパズルゲームなどを供給する発想でスタートしたんですが、第一弾ソフトが『ゼルダの伝説』。かなりの大作で、これが非常に売れまして。ゲーム業界全体が、大容量戦略を取るという時代に入っていったんです。そして、ディスク最大の売りであった"保存"に関しても、ROMカセットでもセーブができるようになって、ディスクだからこそできるという役割がなくなってしまったんですね。ディスク媒体は一度容量の上限が決められると、それ以上に増やせないのが最大の欠点でもあります。これは現在のゲームにも言えることですね。


いまの世代にとって、ゲームは匂いのようなもの
N.O.M 現在は大学でゲームを学問として教えていらっしゃいますが…。
上村 私は第二次大戦の頃の人間なので、"なにもない"という所から自分がスタートしてるんです。当時はテレビではなくラジオの時代でしたが、自分でラジオを組み立ててスイッチを入れた時に、本当にそこから音がしたという衝撃がすごかったんです。いまの子供たちが、初めてゲームをプレイした時に受けた衝撃と似ているのかもしれません。いま教えている生徒たちは、だいたいファミコンと同い年なんですね。彼らのなかでのゲームとは、もう生活の一部なんですよ。生徒のひとりが「ゲームは匂いのようなものだ」と言っていました。だから善し悪しをすごくよくわかっていて、たぶん我々とは全く違う目線でゲームを捉えている。そこから、全く新しい「なにか」を生み出していくでしょう。そしてそれが文化として、学問として認められる時代になったということですよね。
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N.O.M 上村先生の講義は大人気だそうですね。
上村 140名ぶんのレポートは、採点が大変なんですよ(笑)。彼らの話を聞いたりレポートを見たりすると、ゲームっていうのはいい思い出と直結しているんです。彼らはゲームに、複雑さや大作というのを求めてるわけじゃないようで。ゲームと言えば、ただ友達と集まってワイワイやった楽しい思い出だったり、親子で遊んだ記憶だったりというものがセットになって存在していると。「ゲーム=楽しい思い出」という意識がすごく強い。そういった子たちに、「ゲームっていうのはね」「ファミコンっていうのはね」ということを、作った側の人間たちが責任もってきちんと伝えていかなくてはいけない時代になっていると思います。
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N.O.M 当時のディスクシステム用ソフトがファミコンミニシリーズとして発売されますが、それについて思うことなどはありますか?
上村 いまのクリエイターからしたら、昔のものはゲーム性が低いと言うかもしれませんが、いまでも遊んでもらえるほどソフトに普遍性があるというのは、我々にとっても大変感慨深いことですね。テレビゲームは遊びの革命でした。当時の子供たちに対してそうであったように、これからもいい思い出になるようなソフトを供給していかねばならないと思います。
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N.O.M どうもありがとうございました!



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