2. 『ファイファン』と呼ばれて

岩田

スクウェアさんで働くようになって、
最初にどんな仕事に関わったんですか?

河津

最初に「ちょっと手伝って」と言われて関わったのが
ファミコンソフトの『ハイウェイスター』(※7)です。
そこで、ちょこっとお手伝いをしたら、坂口さんが
「RPGつくるから、キミもやって」と。

岩田

そうやって誘いを受けたとき、
河津さんはRPGに興味や関心はあったんですか?

河津

はい。当たり前のように
『ウイザードリィ』や『ウルティマ』(※8)をプレイしていましたから。

岩田

じゃあ、RPGの面白さをわかったうえで、
『ファイナルファンタジー』のプロジェクトの
伝説の1ページ目から参加することになったんですね。

河津

それも、たまたまなんですけど。

※7

『ハイウェイスター』=1987年6月に、スクウェア(当時)が発売したレースゲーム。ファミコン用ソフト。

※8

『ウイザードリィ』や『ウルティマ』=1980年頃に発売されたコンピュータRPGの草分け的なソフト。共にアメリカで制作された。

岩田

そのときの開発環境はどうだったのですか?
たぶんすごく短い時間で、
かなり少ない人数でつくられたはずですよね。

河津

はい。全部で10人もいない状態でした。
当時のオフィスは銀座にあったんですけど、
それこそ、10数人が入ればいっぱいになるような、
真ん中に仕切りがある部屋で、
奥にプログラマーとデザイナーがいて、
手前側に僕や石井くんとか
坂口さんとかがいて、プランニングしているという。

岩田

石井さんというのは
のちに『聖剣伝説』(※9)を手がけられた
石井浩一(※10)さんですね。

河津

そうです。
はじめの頃は、彼といっしょに最初の部分の企画や、
バトルまわりのことを考えていました。
初代の『FF』は、4つのカオスをやっつけたあと、
最後にカオス神殿に行って、悪の源を倒すという物語です。
そこで、石井くんと話をしながら
「まず4つのカオスを倒し、最後に過去に行ってボスを倒そう」と、
その方向は、1日くらいであっと言う間に決まりました。

岩田

そこまで、たった1日で決まるものなんですか(笑)。

河津

1日で決まりましたね(笑)。
すごくノリのある状態でやっていましたから。
その意味では、石井くんという存在がいたのは
ものすごく大きかったと思います。
キャラ同士が横向きになって戦うデザインも、
石井くんと話していくなかで
わりと初期の段階で決めたことなんです。

岩田

敵と主人公たちが横向きになって戦う
サイドビュー方式のバトルですね。

河津

ええ。そもそも彼は見た目とは違って(笑)、
とても夢みたいなことを言うんです。

岩田

はい(笑)。

河津

こういう場なのでちょっとお話しますと(笑)、
当時は蛍光の青っぽいジャケットとかを着て、
手首には金色の鎖をまいて、
じゃらじゃら言わせながら会社に来ていたんです。

岩田

銀座の会社に(笑)。

河津

ええ(笑)。
見た目はそんな感じで、ちょっと恐かったんですけど、
彼の描く絵はすごくかわいいんですね(笑)。
チョコボをデザインしたのも彼ですし。

岩田

みなさん、落差にビックリされたんでしょうね(笑)。

河津

すごくギャップがありました(笑)。

※9

『聖剣伝説』=1991年に1作目が発売された、アクションRPG、アクションアドベンチャーシリーズ。スーパーファミコンやニンテンドーDSなど、多機種で発売。

※10

石井浩一さん=グラフィックデザイナーとして『FF』シリーズに関わったのち、『聖剣伝説』シリーズの開発に関わる。2006年、ゲーム開発会社・グレッゾを設立。

岩田

当時はどんな方向で
『FF』をつくろうとしていたのですか?

河津

すでにRPGでは
『ドラゴンクエスト』(※11)が成功したあとでしたので・・・。

岩田

『ドラゴンクエスト』が発売されたことで、
RPG自体は日本で一気に大衆化されていたんですね。

※11

『ドラゴンクエスト』=エニックス(当時)から、ファミコン用ソフトとして1986年に発売されたRPG。

河津

ええ。そこで
『ドラゴンクエスト』をいろいろ分析しました。
『ドラクエ』はそれ以前にあったアメリカ製のRPGを
いい意味で日本化して、一般の人たちにも
より楽しめるようにしたものだと。
そこで『FF』ではもっと尖った方向で表現しようと。

岩田

『ドラクエ』を意識しながら
『FF』をつくりはじめたんですね。

河津

ええ。ただ、意識過剰になりすぎた面もあったんです。
たとえば、『ドラクエ』の山が茶色いから、
『FF』は緑にしようとか(笑)。

岩田

見た目の印象から違うものにしなければ、と
ちょっと力が入っていたんですね。

河津

でも、あんまりやり過ぎて、
当時の社長の宮本(雅史)さん(※12)から
「こんな地味な画面じゃダメだ」と怒られたんです。
そこで、ベースは緑色に、山を白くすることにして、
それは石井くんの発想だったんですけど、
そうすれば『ドラクエ』とは違う表現ができそうだと。

岩田

そうやって差別化をはかったんですね。

河津

はい。

※12

宮本雅史さん=スクウェア(当時)の初代社長として『ファイナルファンタジー』シリーズをプロデュース。

岩田

そもそも『ファイナルファンタジー』というタイトルは
どうしてつけられたんですか?

河津

あるとき坂口さんから、
「タイトルは『ファイナルファンタジー』で決まり」と。
そんなノリで決まりました。

岩田

ある日、突然決まった感じなんですか。

河津

そうなんです。

岩田

いまでこそ、
『ファイナルファンタジー』という名前は
ゲーム業界のなかでビッグネームになってますけど、
最初に『ファイナルファンタジー』と聞いて
河津さんはどう思いましたか?

河津

「ええっ!?」って(笑)。

岩田

わたしは、このタイトルを初めて聞いたとき、
いきなり「ファイナル」と言ったら
次をつくれないんじゃないかと、
他人事ながらちょっと心配してしまいましたよ(笑)。

河津

あははは(笑)。
ただ、もともとタイトルをつけるための方針はあったんです。
略したときにアルファベットが2文字重なるようにと。
当時あった、『ディープダンジョン』(※13)の『DD』のように、
頭文字が重なるものがいいよねと。

岩田

なるほど。略称を先に意識されていたんですね。

※13

『ディープダンジョン』=1986年に、ファミコンディスクシステム用ソフトとして発売されたRPG。発売元はスクウェア(当時)などが設立したブランド「DOG」。

河津

そうなんです。
そこで、どうしても「ファンタジー」は入れたいと。
すると「F」からはじまる言葉を探さなきゃいけないので
当然のように選択肢は限られることになりまして、
そこで「ファイナル」という言葉が選ばれました。

岩田

なるほど。

河津

で、わたしたちとしては
『FF』と呼んでもらいたかったんですけど、
小学生たちからは『ファイファン』と呼ばれたりして。

岩田

『ファイファン』(笑)。

河津

親戚の子もそうだったんですよ。
だから「『FF』と呼びなさい」と、しかりましてね(笑)。
そしたら「『ドラクエ』だってカタカナで略してるし」と。

岩田

でも、略したときに4文字じゃないと
ちょっと気持ち悪いですよね。

河津

はい。だから『FF(エフエフ)』なんです。

岩田

そうやって河津さんは
『FF』シリーズの2作目まで参加されたわけですけど、
河津さんにとって、『FF』とはひとことで言うと何ですか?
ひとことで答えるのは難しいかもしれませんが。

河津

それについては坂口さんとも話したことがあるんです。
『FF』が、たとえばオンラインをやっても
その上でちゃんとストーリーが展開されるものじゃなきゃいけないと。
そういうことが共通認識としてありまして・・・。
つまり、ゲームがどんなカタチになっても、
プレイして、ドラマを感じるのが
『ファイナルファンタジー』なんだと思います。

岩田

プレイして、ドラマを感じる。
それは、今回の『FFCC クリスタルベアラー』でも同じなんですね。

河津

もちろんです。