はじめに

岩田

11月1日に、Wii初のマリオの3Dアクションゲーム
『スーパーマリオギャラクシー』が発売されます。
「3Dマリオという方向性は、Wiiと相性がいいのだろうか」と、
世の中には、そんなふうに考える人も少なくないと思います。
そこで『マリオギャラクシー』の開発者のみなさんに、
どんなことを考えながら、『マリオ』の新作をつくっていったのか
たっぷり話を訊いてみようと思っています。
ちなみに今回の構成は、ニンテンドードリームの元編集長で、
現在フリーライターをされている、
左尾(昭典)さんに手伝っていただいています。
左尾さん、よろしくお願いいたします。

左尾

こちらこそ、よろしくお願いいたします。
じつは、岩田さんのそばで話をじっくり聞けるのは
およそ6年ぶりのことなんです。

岩田

ええ、よく覚えていますよ。
ゲームキューブが発売された年のことで、
たしか、年末最後の出社日でしたよね。

左尾

よく覚えていらっしゃいますね、さすがです(笑)。
その時はロングインタビューをお願いしたんですね。
ただ、今回はこれまでとは形も立場も違いますし、
貴重な場に立ち会えて、正直、少し緊張しています。
でも、テーマは『マリオ』の王道3Dアクションで、
全4回、いろんなクリエイターさんの話が聞けるということで、
とてもワクワクしています。

1. 『マリオギャラクシー』が生まれたきっかけ

岩田

今回の『マリオギャラクシー』は、東京制作部でつくられました。
ちょうど開発が佳境に差し掛かっていましたので、
今日はわたしが東京に出向いてきました。
今回と次回の2回分は、「社長が訊く〈出張版〉」としてお届けします。
さて、第1回目の今回は、プロデューサーとディレクターの
おふたりから話を訊くことにしましょう。
それでは自己紹介をお願いします。

清水

東京制作部でプロデューサーをやっています、清水です。
今回の『スーパーマリオギャラクシー』では、
スタッフのみんなが開発に専念できるような
環境づくりを主に担当しました。

小泉

同じく東京制作部でディレクターを担当しました、小泉です。
清水さんが、外部との折衝などの仕事をぜんぶやってくれましたので、
わたしは現場にどっぷりつかって、開発に専念することができました。
あと、京都本社の宮本(茂)さんのことばを、
開発スタッフに翻訳して伝えるのも、わたしの仕事でした。

岩田

さて最初に、このプロジェクトが
どういうふうにはじまったのか、お訊きしましょうか。

小泉

話は2000年にさかのぼるのですが、
ゲームキューブの発表会(※1)があって、
『マリオ128』(※2)というデモンストレーションソフトを公開しましたが、
わたしはあのソフトのディレクターだったんです。
その後、『マリオ128』のシステムを使って、
なんとか商品化したいとずっと悩んでいたんですが、
それを実現するのは不可能かもしれないと思っていました。

※1

ゲームキューブの発表会=2000年8月、幕張メッセで開かれた発表会。

※2

『マリオ128』=ゲームキューブの能力を伝えるためにつくられたデモンストレーションソフト。

『マリオ128』

岩田

どうして不可能と思ったんですか?

小泉

技術的な問題です。
『マリオ128』のときは、円盤のようなステージでしたが、
それを、本格的な球状地形にして、
マリオが自由に走り回るようにするためには、
技術的に相当高いスキルが必要です。
しかも、その高い壁を乗り越えるためには、
スタッフのモチベーションがかなり高くないと
つくれないと思いました。

岩田

ちなみに球状地形の可能性については、
わたしは宮本さんから5年以上前に聞いてるんですけど、
話を聞いても、なぜ球状地形が革命的なものであるのかということが、
当時はよくわからなかったんです。
でも、それが『マリオギャラクシー』で形になっていくことで、
ようやくわかっていったんですけどね。

小泉

当時のわたしも同じでした。おもしろそうなんだけど、
それをやることに価値はあるんだろうかって。
この想いは、たぶんスタッフのみんなが持っていたんだと思います。
でも、宮本さんは「どうにか形にしたいよね」ということを
ずっと言い続けていたんですね。

清水

それで、2年半ほど前に、ゲームキューブの
『ドンキーコング ジャングルビート』(※3)の開発が終わって、
次の企画を考える時間があったんです。
そのとき、わたしたちはオリジナルゲームを提案したんですが、
宮本さんが寂しそうに、ポツリと言ったんです。
「任天堂キャラクターのゲームもつくってほしいな」って(笑)。

※3

『ドンキーコング ジャングルビート』=タルの形をした専用コントローラ「タルコンガ」対応のゲームキューブソフト。横スクロール型のアクションゲーム。2004年12月発売。

『ドンキーコング ジャングルビート』

小泉

そもそも、東京制作部は2003年にできたばかりでしたし、
その当時は、規模の大きいソフトをつくることができないと考えていました。
そこで、コンパクトなゲームの企画を提案したのですが、
宮本さんからは、
「大きなことでやりたいことはないの?」と言われて、
スタッフの意見を聞いてみると
「ぼくたちの力で、次の『マリオ』をつくりましょうよ」
という声があがってきたんです。
『ジャングルビート』をいっしょに開発することで、
スタッフとは気心が知れるようになっていましたし、
彼らとなら、球状地形という新しくて、とてもむずかしい問題も
解決できるかもしれないと思うようになったんです。

岩田

でも、開発はすんなりとは進まなかったんでしょう。

小泉

もちろんそうです。
今作でのわたしの役割は、コックさんだと位置づけていました。
まず、「Wiiではこんな料理をつくりたいんだけど」と
みんなにレシピを見せたんですけど、どんな料理に仕上がるか
スタッフには理解できなかったんです。

岩田

レシピを見ただけじゃ、
おいしいかまずいか、わからなかったんでしょうね。

小泉

宮本さんは「おいしそうだ」と言ってくれたんです。
でも、ほとんどのスタッフは
「こんなにすごい料理はつくれない」と言ってくるんですね。
そこで、試食できるようなものが必要だと思い、限られたメンバーで、
3カ月くらいかけてプロトタイプ(試作品)をつくりました。
球状地形と言えば、惑星にするのがいちばんわかりやすいですし、
舞台を宇宙にして、重力ネタも入れて、
まさに『マリオギャラクシー』の原型のようなソフトをつくって、
そこから本格的に開発がスタートしたんです。

岩田

どんなにすばらしいレシピを見せるよりも、
量は少なくても、実際に料理を食べてもらった方が、
みんなが理解しやすいわけですね。

小泉

ええ。ぼくは宮本さんから畑を借りたと思っているんです。
「この“秘伝の畑”を貸してください。
この畑にきっといい野菜や果物を実らせますから」と言って、
スタッフといっしょに種をまいていったんです。
そして、その畑から収穫してつくった料理は、
いちばん最初に、宮本さんに食べていただこうと。
なにしろ、畑のオーナーですからね。
できた料理は片っ端から京都に送って、
「これはちょっと辛すぎる」とか「こっちはおいしくなったね」
というような試食を、数え切れないほどやってもらったんです。
開発の終盤になると、東京の“お店”に来てもらって、
いやと言うほど味見をしてもらって、
もうお腹いっぱいになるくらい食べてもらいました。

清水

つくっては食べて、つくっては食べてという感じで、
宮本さんにとっては苦行だったかもしれないですね(笑)。

小泉

それで、オーナーの宮本さんに、
ある程度満足してもらえる段階になって、
今回は、一般の方々にも試食してもらうようにしました。
それも、ものすごい数で、時間もたっぷりとりました。
そうやって、一般のお客さんの意見も聞きながら味を調えて、
料理を完成させていったというわけです。

岩田

それにしても、宮本さんのぜいたくな使い方をしましたねえ(笑)。

小泉

宮本さんに味見してもらって
コックとしては本当に助かりました(笑)。

岩田

今回、わたしが宮本さんにお願いしたことは、ただひとつ
「宮本さんだからこそ、できることをやってくださいね」
ということだけだったんです。
久しぶりの『マリオ』の3Dアクションですし、
Wiiを代表する商品に育ててほしいと思ったんですね。

清水

だから、休みの日も「ここはこうしてね」という
メールが届いたりしてましたね。しかも、朝早くから(笑)。
お互い、離れた場所で仕事をしていたんですが、
今回はさほど距離を感じませんでしたね。
東京でつくってるものは、同時に京都でも見られるようにしていましたし。
それに、開発の終盤は、ひんぱんに東京に来ていただいたので
本当にありがたかったです。

岩田

でも、ときには宮本さんと
意見の相違ということもあったんでしょう。

小泉

それは当然ありましたね。
でも、なぜそれがよいのかをきちんと説明してくれますし、
ときには、わたしの言うことを理解して
折れてくれることもありました。
そう言えば、昔の話ですが、
わたしがどうしても折れなかったとき、
「おっちゃんの経験を信じなさい」って
説得されたこともありました(笑)。

岩田

そういうふうに説得することもあるんですね。
わたしはそうやって説得されたことはないですけど(笑)。

小泉

でも、わたしもディレクターとして、
スタッフの面倒を見る立場になりましたので、
最近はわたしが「おっちゃんの意見も聞いた方がいいよ」って、
スタッフに言うこともあります(笑)。