社長が訊く
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社長が訊く『ニンテンドー3DS』ソフトメーカークリエーター 篇

社長が訊く『ニンテンドー3DS』ソフトメーカークリエーター 篇

第4回:『リッジレーサー3D』

目次

2. 間違い電話でナムコに入社

岩田

そうやって、坂上さんは
ナムコさんの門を叩くことになるわけですか。

坂上

はい。そうなんですけど・・・
実は最初、コナミさんに入るつもりだったんです。

岩田

え?

坂上

コナミさんを受けるつもりだったのが、
同じカタカナ3文字の社名ということもあって
間違えて、ナムコを受けてしまったんです(笑)。

岩田

それ、ホントですか?(笑)

坂上

はい。もともと友だちがコナミさんで働いてまして、
「オレ、ゲーム業界にいきたいんだけど」と相談したら、
「受けたら?」という話になったんです。
それに、当時のコナミさんの本社は神戸にありましたし。

岩田

実家のある西宮から近いですしね。

坂上

そうなんです。
そこで電話をかけたら、なぜかナムコだったんです。

岩田

あははは(笑)。
じゃあ、間違い電話をしなかったら、
今日、ここに座っていないかもしれないんですね(笑)。

坂上

でしょうね(笑)。

岩田

でも、どうして
ナムコさんに入ることにしたんですか?

坂上

人事の方の対応がすごくよかったんです。
最初に電話したとき、デザインで受けたいと言ったら、
「募集していません」と言われまして、
「営業企画だったら空いてますよ」と。

岩田

ええっ? 最初は営業企画で応募したんですか?(笑)

坂上

そうなんです(笑)。

岩田

面白い(笑)。

坂上

で、「営業企画ってどんな仕事ですか?」と聞いたら
「坂上さんはデザインをしたいということであれば、
店舗デザインの仕事もありますよ」と。
で、「そっちで応募なさっては?」と言われたので
「ちょっと僕には向いてないと思います」と。

岩田

(笑)

坂上

でも、「作品だけ送らせていただきます」と言って、
書類といっしょに送ると、「じゃあ、こっちにどうぞ」と。

岩田

そこからゲーム開発のほうに回してもらえたんですね。
でも、その人事の方が「募集していません」と言いつつも、
「営業企画なら空いてますよ」と、ひとこと言ってくれなかったら、
書類はきっと送らないじゃないですか。

坂上

そうですね。

岩田

書類を送らなければ、ノーチャンスですよね。

坂上

はい。そういう意味では、偶然と偶然が重なっています。

岩田

いや、人間というのは、
たくさんの偶然のご縁に導かれて、現在に至るものですけど、
坂上さんの場合は、その偶然の度合いが
すごく大きい気がするんですけど(笑)。

坂上

そうなんです(笑)。
でも、いまの間違い電話の話を抜けば、
『パックマン』からナムコへというかたちで
きれいにつながってますし(笑)。

岩田

まあ、もっとさかのぼれば、
子どもの頃にゲームセンターで遊んだ『ゼビウス』とも
きれいにつながっていますからね(笑)。

坂上

そうなんです(笑)。
そのあとも、『スティールガンナー』(※6)とか、
『ファイナルラップ』(※7)もそうですけど、
当時遊んでいたのはナムコのゲームばかりだったので、
結果的にはオーライだったんです。

岩田

(笑)。
それで、デザイナーとしてナムコさんに入社されて、
最初にかかわったのは、どんな仕事だったんですか?

坂上

『エアーコンバット』(※8)という、
シューティング系のアーケードゲームです。
で、ナムコって面白い会社だなと思ったことがありまして、
僕が入社したときは、2Dのグラフィックツールを与えられて、
その練習をずっとさせられていたんです。

岩田

ドット絵の練習ですね。

※6
『スティールガンナー』=1990年にアーケード用ゲームとして登場したガンシューティングゲーム。ナムコ(現バンダイナムコゲームス)が開発。
※7
『ファイナルラップ』=1987年にアーケード用ゲームとして登場したレースゲーム。ナムコ(現バンダイナムコゲームス)が開発。
※8
『エアーコンバット』=1993年にアーケードで登場したフライトシューティングゲーム。ナムコ(現バンダイナムコゲームス)が開発。その後、『エースコンバット』のタイトルで、家庭用ゲーム機でも発売された。

坂上

そうです。
で、急に「坂上くん、仕事だよ」と言われて、
かかわったのが3Dの『エアーコンバット』でしたから、
勝手がぜんぜん違っていたんです。

岩田

ドット絵の練習がまったく役に立たないということですね(笑)。

坂上

はい。いきなり3Dのツールを見せられたので、
「僕、これ、触ったことないんですけど」と言ったら、
当時のリーダーの人から「え? いままで何してたの?」と
怒られてしまいまして。

岩田

あははは(笑)。

坂上

「何してたの?」と言われても、困りますよね(笑)。
ただ、あの当時、とてもよかったのは、
新しいツールを練習しながら
ゲームをつくることができたんです。

岩田

ゲームの黎明期でしたから、
現場では、新しいツールを覚えたばっかりの人たちに
囲まれていたわけですしね。

坂上

そうなんです。なので、
みんなで教え合うような感じでやっていました。
ただ、最初にかかわったソフトが3DCGということで、
たとえばカメラワークを、どんなふうにすれば
気持ちよく映像が流れるかというのが
僕にはわかっていたんです。

岩田

それは、映像プロダクション時代に
いろんな現場に撮影に行った経験を
活かすことができたということなんですね。

坂上

はい。当時の経験がすごく役に立ったと思いました。

岩田

しかも、実にいいタイミングで
ナムコさんに入社されたんですよね。
もともと『パックマン』の時代には、
記号のような表現だったゲームが、
坂上さんが入社された頃から、3DCGで表現できるようになり、
映画的な映像が求められるようになったわけですからね。

坂上

そうですね、ホントに。

岩田

なので、映像業界に入って
一見、寄り道をしたようにみえても、
3時間とかの睡眠時間で頑張っていたことが、
実は大いに役立つことになるわけですよね。

坂上

そうですね。
あの当時、たとえばカメラを横にふる「パン」だとか、
カメラを上下させる「ティルト」とか
そのような撮影用語をみんなは知らなかったですし、
文字情報である「テロップ」を
どれくらい表示させるのかというのも、
当時のスタッフはなんとなく編集していたんです。
みんなで表示されたテロップをじーっと見て、
「長いよね。じゃあもうちょっと短くするか」とか
「短いよね。じゃあ長くするか」みたいな感じで、
感覚だけで調整していたんです。

岩田

そのやり方ではダメだということですね。

坂上

はい。そのようなやり方では時間がかかるんです。
僕が言ったのは、
「テロップのように1回読ませたいものは、
まず偶数秒を放り込んでみてください」と。
たとえば4秒とか6秒という時間をまず入れてみて、
そっからちょっとつまむ、あるいは
ちょっと足すくらいでいいんです。

岩田

そういったことは
映像の制作で鍛えられた人にとって、
普通のことでもあるんですか?

坂上

いえ、誰も教えてくれません。

岩田

それは自分で見つけるものなんですか?

坂上

はい。オペレーターが編集するのを
毎日のように見ていましたし、
ディレクターが、「ちょっと長いかな?」とか言いながら、
8コマとか落とすようなことを観察していました。

岩田

ああ、職人の世界ですから、背中を見て覚えるんですね。
そのような技術を持っていると、
社歴が浅くても、かなり早くから
いろんな仕事を任せてもらえるチャンスが増えますよね。

坂上

なので、『エアーコンバット』の開発が終わらないうちに、
「あ、坂上、できるんじゃない」とか言われて、
『ファイナルラップR』(※9)という
業務用のレースゲームのチームにいきまして、
入社早々から、同時に2つの仕事にかかわったりしました。

岩田

ものをつくる現場に勢いがあるときは、
そういうことがありますよね。

坂上

そうですね。相手が忙しいのも関係なく、
「とにかくやってみな!」という空気が充満していましたし、
「任せてもらえるんだったら、頑張ります!」
という気持ちが、当時の自分にはすごくありましたね。
いまだったら、絶対に断ると思うんですけど(笑)。

岩田

(笑)

※9
『ファイナルラップR』=『ファイナルラップ』のシリーズ作品として、1994年にアーケードで登場したレースゲーム。ナムコ(現バンダイナムコゲームス)が開発。