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社長が訊く 〜任天堂で働くということ〜

目次

開発環境コーディネータ編

Vol.2

取締役社長 岩田 聡 / 森脇 友城 2003年入社 / 島田 健嗣 1992年入社 / 田原 靖之 1994年入社

1 ついにここまできたか!

岩田

そもそもこういう仕事が会社の中にできて、
組織的に動くようになったのは、DSを開発することになったのが
きっかけでしたね。


新しいインターフェイスを使った新しいプラットフォームを作るときは、
いろいろな材料や情報が必要となるので、ゲームを作る人たちに
それらを提供しないといけない、ということから始まったわけですが、
具体的にはどんなスタートでしたか?

島田

ゲームボーイゲームボーイアドバンスといった
それまでの携帯型機は2Dでしたが、DSでは3Dになるということで、
ニンテンドウ64が初めて3Dの据置型機として開発されたときと同様に、
開発環境を整えて、その後もサポートをしていく必要性が出てきました。
でもそれをする人が決まっていなくて、
じゃあ自分たちがなんとかしなきゃ、という感じでしたね。

田原

私は開発ツールを作る仕事だと言われて
NOA(Nintendo of America)から戻ってきたのですが、
アメリカでは海外のデベロッパーサポートをしていたので、
新しい仕事は次のステップの仕事だなと思いまして、
まずは似たような仕事から始めました。

森脇

僕は入社1年目の9月に今の環境制作部の前身となる
特命プロジェクトチームに異動になって、最初にした仕事は、
社内技術者向けのサポート窓口ですね。
開発部門が制作した開発機材の使い方を他の技術者に発信したり、
問い合わせを受けたりという仕事です。

岩田

3年ちょっと前のチーム発足は、それまでの携帯型機よりも
ずっと複雑なDSでソフトを作れるようにするための
情報を集めて発信する、というミッションのもと、
まだ方法論も確立されていない中で始まったんですね。

島田

社外への技術サポート窓口という組織は以前からありましたし、
私もそこにいましたが、社内のいろいろな開発部門に対して、
一元管理した情報をもとに技術的なサポートをするという
体制がまだできていませんでした。
当時は、社内の情報はいろいろな人が走り回って集めていたという
状況でしたね。

岩田

最初のハードルは何でしたか?
新しい組織の存在意図やポジションを認知してもらうことですか?

島田

そうですね、まず最初はいろいろな部署に行って、
情報を持っている人に対しては、
「我々がこういう窓口をして社内に提供するので、
まずはこっちに情報をください」という話をして、
情報を求めている人に対しては、
「矛盾のない情報が伝わるように我々が集めて一元管理しますから、
それを聞きに来てください」と歩き回って告知しました。
それまでは革靴を履いていたんですが、
この仕事を始めてからは運動靴になりました。

岩田

運動靴になるとやはりフットワークが違いましたか(笑)?

島田

ぜんぜん違いましたね。階段も走れますし(笑)。

岩田

環境制作部の発足は会社の中のワークフローと
情報の流れを変えましょうというチャレンジでしたが、
どれくらいの期間で自分たちの存在というのが
認知された印象がありましたか?

島田

まず、キーになる人に最初に認めてもらわなければならないなと
思っていました。各部署でそういう人を見つけて、
その人に対して話をしていくようになったのは、
比較的早い段階だったと思います。
全社的に自分たちの存在が認知されるようになったのは、
恐らくDSが発売されて結果が出てからのことですね。

田原

DSの立ち上げのときには、キーパーソンだと思った人に
集中的に情報を聞きに行ったり、話を持って行ったので、
ときには相手から煙たがられるようなこともありましたね。
DSが無事発売されると、「あのときはいろいろあったけれども、
一緒に乗り越えられて良かったね」と言われましたので、
ほっとしましたけど(笑)。

森脇

僕らは僕らで、「情報はこちらに聞きに来てください」と言っているので、
たくさん質問がくるのですが、実際は、自分たちのところにはまだ情報が
何もないので、走って聞きに行って仕入れてくるという感じでした。
そのうち、こちらにも情報が集まり始め、いろいろな人との流れや
つながりができていったという感じです。

田原

何かあったときに、「環境制作部でお願いします」と言われるのが
一番嬉しいですね。
最初は、「この部署は何ができるんだ」とみんなから思われている感じが
していて、「僕たちにこれを任せてください」と宣伝活動をしないと
誰も任せてくれなかったのに、結果が出てきた今は、
新しい話が持ち上がると「じゃあ環境制作部でお願いします」と
持ってこられることが多くなりました。
中には「これは違わないか?」という案件もありますけど(笑)。

岩田

「まぁ、環境制作部に頼んでおけばなんとかしてくれるだろう」
という風に変わりましたよね。
そこに変わっていくまでのプロセスが非常に短期間だったのが、
私には面白かったですね。

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