1. 『スーパーマリオ』以降に入社して

岩田

(並べられた『スーパーマリオ』シリーズのパッケージを見て)
壮観ですね・・・。

 

さて今日は、『スーパーマリオ』シリーズを支えてきた
開発経験者のみなさんに集まってもらいました。
25年前に『スーパーマリオ』が発売されたとき、
まだ任天堂の人ではなかったみなさんが入社してから、
これまでどのように『マリオ』に関わってきたのかを
訊いてみようと思います。
 
まず、それぞれ関わった『マリオ』シリーズの
タイトルについてお訊きしたいのですが、
江口さんからお願いできますか。

江口

わたしは86年に入社しまして・・・。

岩田

『スーパーマリオ』(※1)発売の翌年ですね。

江口

はい。『スーパーマリオ』が出た翌年に入社して、
しばらく別の仕事をしていたんですけど、その後
『スーパーマリオ3』(※2)で初めて『マリオ』の開発に関わりました。

岩田

『マリオ3』ではどんな仕事をされていたんですか?

江口

そのときはコースを描く仕事の手伝いをしていました。
その後は別の仕事をしましたが、
スーパーファミコンの『スーパーマリオワールド』(※3)をつくるときに
再びマリオチームに戻って、
コースディレクターとしてコースをひたすらつくりました。
それ以降、また他の仕事にシフトしましたので、
『マリオ』シリーズには関わっていないんですけど、
『マリオ』シリーズの仲間では(※4)
コースづくりを手伝ったりしました。

岩田

江口さんは、その後(※5)
(※6)などのソフト開発に関わったんですよね。

江口

はい。

※1

『スーパーマリオ』=『スーパーマリオブラザーズ』。1985年9月に、ファミコンで発売されたアクションゲーム。

※2

『スーパーマリオ3』=『スーパーマリオブラザーズ3』。1988年10月に、ファミコン用ソフトとして発売されたアクションゲーム。

※3

『スーパーマリオワールド』=スーパーファミコンと同時発売されたアクションゲーム。シリーズ4作目。1990年11月発売。

※4

『ヨッシーストーリー』=NINTENDO64用ソフトとして、1997年12月に発売されたアクションゲーム。

※5

『どうぶつの森』=第1作目は、NINTENDO64用ソフトとして、2001年4月に発売されたコミュニケーションゲーム。その後、ゲームキューブでは2本、ニンテンドーDSとWiiでもそれぞれ1本ずつ制作され、シリーズは5作を重ねている。

※6

『Wii Sports』=2006年12月に、Wii本体と同時に発売されたスポーツゲーム。テニス、ベースボール、ボウリング、ゴルフ、ボクシングの5つのスポーツを収録。

岩田

次に、江口さんと同期入社の紺野さん、お願いします。

紺野

はい。入社して、大がかりな『マリオ』系の仕事を担当したのが、
『夢工場ドキドキパニック』(※7)です。

岩田

それはのちに『スーパーマリオUSA』(※8)になるものですね。

紺野

はい。そして江口さんといっしょに
『スーパーマリオ3』に関わり、
ハードがスーパーファミコンにシフトしていくなかで、
『スーパーマリオワールド』の開発にも関わりました。

岩田

『スーパーマリオワールド』では、
紺野さんは何を担当されていたんですか?

紺野

まずがありますけど、
『マリオ3』をつくったときにその制作に関わって、
『スーパーマリオワールド』でも同じようなことをしていました。
あとは江口さんといっしょにコースを描いていて、
当時は方眼紙にトレーシングペーパーを重ねて、
毎日コツコツとコースを描く仕事をしていました。

岩田

当時はコースを考えてから、
それを実際にゲームとして動かすまでに時間がとてもかかりましたよね。

紺野

ええ。丸1日はかかっていました。
朝にプログラマーに渡したコース図が
夜になると動く状態であがってくるんですが、
実際に動かしてみると
クリボーが地面にめり込んだりして(笑)。

岩田

手作業で座標を入力しているので、
ミスも多かったですよね(笑)。

紺野

「ああ、また次の日にやり直しだ」
みたいなことをしていました。

岩田

その後、紺野さんはシリーズ(※9)
関わることになるんですよね。

紺野

はい。『マリオカート』シリーズを担当して、
その他、(※10)など、
いろんなソフトに関わりました。

※7

『夢工場ドキドキパニック』=1987年7月に、ファミコンディスクシステム用ソフトとして、フジテレビジョンから発売されたアクションゲーム。

※8

『スーパーマリオUSA』=1992年9月に、ファミコン用ソフトとして発売されたアクションゲーム。アメリカで発売された『スーパーマリオ2』の日本版。

※9

『マリオカート』シリーズ=1作目は1992年8月に、スーパーファミコン用ソフトとして発売された『スーパーマリオカート』。その後、NINTENDO64やゲームボーイアドバンス、DS、Wiiでも発売され、これまで6作のシリーズが登場しているアクションレースゲーム。

※10

『nintendogs』=ニンテンドーDS用ソフトとして2005年4月に発売。お気に入りの子犬たちとの触れ合いを楽しむコミュニケーションソフト。

岩田

3人目は木村さん、お願いします。

木村

わたしが入社したのは1988年です。
デザイナーとして別の開発部署に配属されることが
決まっていたんですが、入社してしばらくの間、
情報開発部で研修を受けることになったんです。
そのときに『マリオ3』のディレクターだった手塚(卓志)さんから、
「キャラクターをつくってほしい」と言われまして、
それで2体のキャラクターを描いたのが
初めて『マリオ』に関わった仕事になります。

岩田

ちなみにそのキャラクターは何だったのですか?

木村

です。
それがそのまま製品に入るような経験をしました。
スイチューカは『マリオ3』にしか出なかったんですけど、
ガボンのほうは、その後もいろんなソフトに登場しました。

岩田

研修中に描いたキャラクターが、
そのままゲームに採用されるというのはスゴイですね(笑)。

木村

はい。すごくうれしかったです(笑)。
その後、他の部署に配属されたのですが、
しばらくしてから、また情報開発部に異動して
(※11)を担当しました。

岩田

『スーパーマリオアドバンス』シリーズは、
『マリオ』シリーズの旧作をゲームボーイアドバンスで
遊べるように、ということではじまった企画でしたね。

木村

はい。最初から4本のシリーズで出ることが決まっていて、
いちばん最初が『マリオUSA』で、
次に『マリオワールド』、そして『ヨッシーアイランド』(※12)が来て、
最後に『マリオ3』という順番でした。
で、『マリオアドバンス1』のときはデザイナーとして関わりました。

岩田

最初はデザイナーとしての参加だったんですか。

木村

そうなんです。
そこで、『マリオアドバンス2』以降、
誰がディレクターをするかという話になったとき、
『1』のときにわたしがデザインリーダーをしていたこともあって、
「木村に『2』からディレクターを任せようか」という話になりました。

岩田

そんな言い方をしてしまうと
成り行きでディレクターをやったみたいですよ(笑)。

木村

すみません(笑)。えー、そういうわけではなくて、
もともとわたしはデザイナーとして会社に入りましたけど、
自分でゲームを考えてつくるような仕事をしたいということを
ずっとアピールしていましたので、
それで「任せてみようか」ということになったんだと思います。

岩田

なるほど。そしてDSで出た『Newスーパーマリオ』(※13)
Wiiで出た『NewスーパーマリオWii』(※14)の2つに関わったんですね。

木村

はい。その2作にはプロデューサーとして関わりました。

※11

『スーパーマリオアドバンス』シリーズ=ゲームボーイアドバンスで登場した、アクションゲームシリーズ。1作目は2001年3月に、2作目は同年12月、3作目は2002年9月、4作目は2003年7月に発売された。

※12

『ヨッシーアイランド』=『スーパーマリオ ヨッシーアイランド』。1995年8月に、スーパーファミコン用ソフトとして発売されたアクションゲーム。

※13

『Newスーパーマリオ』=『New スーパーマリオブラザーズ』。2006年5月に、ニンテンドーDSで発売されたアクションゲーム。

※14

『NewスーパーマリオWii』=『New スーパーマリオブラザーズ Wii』。2009年12月に、Wii用ソフトとして発売されたアクションゲーム。

岩田

最後にいちばん若い小泉さん、お願いします。

小泉

僕は91年入社なので、
『マリオワールド』が出た翌年に入ったのですが、
もともとゲーム制作の仕事で入ったわけではなくて、
ゲームソフトのパッケージや、
取扱説明書のイラストを描く仕事を担当していました。

岩田

社内ではアートワークと呼ばれている仕事ですね。

小泉

はい。そこで、→小田部羊一さん(※15)
キャラクターの描き方を教えていただいて、
マリオを毎日描くような日々を送っていました。

岩田

小田部さんの弟子として、勉強されていたんですね。

小泉

「マリオの線の太さはこれくらいなんだよ」とか
「この線は2ミリね。この目の間は1ミリかな」
みたいなことを言われながら仕事をしていました。
で、何かの偶然というか、
偶然かどうかわからないんですけど、
NINTENDO64が出る前の94年、95年頃に、
『マリオ64』の仕事に関わることになったんです。

岩田

小田部さんの弟子から、
宮本さんの弟子に移ったのは何がキッカケだったんですか?

小泉

僕は、3DCGデザインの勉強を
専門でしてきたわけではないんですが、
もう、ほとんど個人的な趣味のような感じで、
グラフィック機能で評判だった
AMIGA(アミーガ)(※16)というコンピューターを個人で輸入して、
家でコツコツと3Dモデリングやアニメーションをつくって、
それを宮本さんに見せたりしていました。
で、気がつくと『マリオ64』のプレイヤーキャラクターの
モデルアニメーションを自分が担当するようになっていました。
しかも、3Dの時代になっていましたので、
カメラの設計をしたり、敵や地形をつくったりと、
当時はいろんなことをやっていたんです。

岩田

当時は3Dアクションの制作作法が確立されていなかったですから、
その世界に興味がある人が、どんどん突き進んで
勝手にいろんなものをつくっていったわけですね。

小泉

そうです。ホントに勝手につくって、とめどなく広げて
宮本さんには迷惑をかけたんじゃないかと思っています(笑)。
そういう関わりをして・・・。

岩田

だから3Dの『マリオ』をずっとやってきたんですね。

小泉

はい。マリオシリーズでは、『マリオサンシャイン』(※17)
『マリオギャラクシー』シリーズに(※18)関わりました。

※15

小田部羊一さん=アニメ『アルプスの少女ハイジ』などを制作した日本を代表するアニメーターのひとり。東映動画退職後に任天堂に入社し、マリオのキャラクターデザインなどの仕事に携わる。現在フリーとして活躍中。

※16

AMIGA(アミーガ)=1985年にコモドール社より発売されたパーソナルコンピューター。

※17

『マリオサンシャイン』=『スーパーマリオサンシャイン』。2002年7月に、ゲームキューブソフトとして発売された3Dアクションゲーム。

※18

『マリオギャラクシー』シリーズ=Wii用3Dアクションゲーム。1作目は2007年11月に、2作目は2010年5月に発売された。

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