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スペシャル対談 田尻智さん(ゲームフリーク)VS石原恒和さん(クリーチャーズ)対談
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前編二人の出会い

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Qまずは、お二人が最初に出会われたときのことから。
● 田尻>> それはもう六本木に古い家があった頃の話ですからねぇ。WAVEなんかがある六本木に、なぜか築60年くらいの古〜い家があって。
田尻さん&石原さん

Qなんの話ですか、それは?
● 石原>> 1980年代のあたま頃にね、当時、僕はCG(コンピュータ・グラフィックス)を中心とした映像の制作プロダクションに所属していて、その会社が六本木にある古い民家をテレビ番組なんかの制作室として使っていたんです。
● 田尻>> ちょうどあれだ、フジテレビが深夜枠に面白い番組をたくさん提供するようになってきた時代で、そのために石原さんもゲームを題材にした番組を作っていたんですよ。だからそういう古い日本家屋なんだけど、なかに入るとビデオ機材とか、『ゼビウス』の業務用ゲーム機とか、コンピュータなんかがたくさん置いてあって、そこで岩井俊雄さんというメディア・アーティストが番組の素材用に『ブロック崩し』みたいな昔のゲームを再現していたりしたんです。
石原さん● 石原>> 僕は当時それほどテレビゲームというものに興味はなかったんだけど、大学時代からCGには強いあこがれがあって、コンピュータやビデオ制作の仕事をしたかったんですよ。そうしたときに、後輩の岩井俊雄くんが作ってきたゲームやプログラムを見たら非常に面白くて、だったら「ゲームを題材にしたテレビ番組を作ろうよ」っていう話になって、日本のゲームをいちばん知っているのは誰だろう? と考えた末に行き当たったのが、田尻くんだったわけです。
● 田尻>> その頃、僕はいまの会社の母体でもある「ゲームフリーク」というミニコミを作っていたし、個人的にもゲームセンター用のゲーム基板をコレクションしていて、'70年代の終わりから'80年代にかけてのゲームはほとんど網羅していましたから。
● 石原>> あの当時いちばん強烈な印象として残っているのは、田尻くんが持っているゲームの知識と、その知識が体系化されているということだったな。基板にしても、ただ無闇に集めているんじゃなくて、ゲームの歴史とか亜流の存在とか、体系化された知識に合わせてコレクションしている。僕は、まさかゲームにそんな歴史があるなんてことは知らなかったの。たとえば、『ゼビウス』が家で遊べるということで任天堂のファミコンが飛ぶように売れていった時期があったわけだけど、その『ゼビウス』というものがどういう風に生まれて、自分たちがどう遊び、つぎに何をしようとしたかとか、そういうことを田尻くんから教えられた。
田尻さん● 田尻>> 僕としては、データイーストの『ミッションX』やコナミの『スクランブル』というシューティングゲームの歴史があって、その延長上にベトナム戦争を題材にしたゲームのひな形ができて、そこから『ゼビウス』が生まれた、というような流れは当たり前のように知っていて、それをミニコミに書いたりもしていましたから。
● 石原>> だから、そういう人物がいるということに僕はびっくりしたわけ。知識もコレクションもね。基板集めて、業務用のゲーム機まで持っていて、それでハーネスという基板を接続するケーブルまで自作していて、この情熱はなんなんだろうという(笑)。
● 田尻>> でも、僕もうれしかったんですよ。当時はそんな話を喜んで聞いてくれる大人なんて少なかったですからね。


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