1本に3本分の遊びを詰め込んだRPG

N.O.M 『ぼくらはカセキホリダー』の企画はどうやって生まれたのですか。
山上 企画自体はずっとさかのぼります。2004年の夏、任天堂がまだDSを発売していないときに、レッド・エンタテインメントさんから企画の提案をいただきました。カセキを発掘してクリーニングし、復元した恐竜をバトルで戦わせるという内容で、どのパートをとっても、それだけで1本のゲームになりそうなものでした。当初はスケールが壮大な割に、具体性が乏しい、といったん却下させていただいたんですね。
伊井 僕らは却下だとはまったく感じていなくて、今はまだ無理なのね(笑)、くらいに思っていました。DS発売前だったので、事前情報だけでタッチペンやマイクの感度もわからないんですけど、「これくらいはできるんじゃないの?」という感じで企画を進めていましたね。
山上 構想自体は当初から面白いと思ってました。ただ、僕が当初心配していたのは、とにかくスケールが大きすぎてまとまらないのではないか?開発にどれだけ時間やコストがかかるのか?ということです。だって、ゲーム3本分ですよ。企画が具体的に進みだしたのは、最終的にカギになってくると思っていたバトルがうまくアイデアとして上がってきてからです。
レッド・エンタテインメントさんが企画した内容で、アートディンクさんに実際の開発を取りまとめもらい、さらにやっぱり規模が大きくなっちゃったのでプログラムでエムツーさんに参加してもらうことになったのですが、まず、ゲーム性として面白そうだったクリーニング部分の試作にとりかかりました。このプロト版で非常に感触のいいものができまして、これをもって実際の開発がスタートしたという形でした。発表から発売までの期間はとても短かったのですが、構想から3年以上、制作スタートから2年数ヶ月という非常に長い期間をかけて作ったRPGなんです。
伊東 山上さんはスケールが大きすぎるっておっしゃいますけど、最初私たちが提案した恐竜は50体だったんです。そこを100体以上にしましょうと言って、さらに規模を大きくしたのは山上さんなんですよ。 ゲーム画面
伊井 そうそう。「ここは3ケタでしょう」って。
山上 だって、そこはね、ゲームとしての面白さを考えると100体以上必要だったんです。 でも、僕らがすごく感心しているのは、遊びの基本の部分は最初の企画書から変わっていないんです。それだけ、最初のアイデアが非常にすぐれたものだったんだと思います。

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