1. 命題は2台のテレビを使うこと

岩田

今日は『パンチアウト!!』について
お話を訊かせてもらうんですが、
社内でこういう言い方をするのもなんですけど、
実は超豪華メンバーでお届けします。
Wiiの『パンチアウト!!』をつくった田邊さんは
たいへん居心地が悪いかもしれません(笑)。

田邊

いやあ、緊張してます(笑)。

岩田

(笑)。
『パンチアウト!!』というゲームは
最初は業務用のゲームセンターにある
ゲーム機として生まれたんですが、
それをつくっていたのは、
実は総合開発本部の竹田さんで、
しかも、絵を描いていたのは
宮本さんだったんですよね。
業務用のゲームは2機出ていますが、
のちにファミコンやスーパーファミコンに移植されて、
そのときに和田さんが関わったんですね。

和田

はい。わたしも緊張してます(笑)。

岩田

そんなファミコン版から22年の時を経て、
今回、田邊さんたちが、
カナダのネクストレベルゲーム社(※1)と共に
Wii版の『パンチアウト!!』をつくった。
・・・と、こういう流れなんですが、
やっぱり最初に、『パンチアウト!!』はどうして生まれたのか、
まずその話から訊きたいと思います。

※1

ネクストレベルゲーム社=『マリオストライカーズ』(ゲームキューブ)、『マリオストライカーズ チャージド』(Wii)などを開発した、カナダのゲームソフト開発会社。

竹田

はい。
ゲームデザイナーの竹田でございます。

一同

(笑)

宮本

竹田さん、初代ですよね。

岩田

初代のゲームデザイナー?

宮本

そうなんです。ビデオゲームをつくりはじめたのは、
横井(軍平)さん(※2)より早いんです。

岩田

じゃあ、任天堂初のゲームデザイナーだったんですね。

竹田

そこまで言うと・・・(笑)。

※2

横井軍平さん=任天堂在職中にゲーム&ウオッチやゲームボーイなどのゲーム機のほか、ファミコンロボットや『Dr.マリオ』などを手がける。故人。

岩田

こういう言い方をすると申し訳ないんですけど、
竹田さんという人は、がちがちのハード屋さんだと、
そんな印象をお持ちの人がほとんどじゃないでしょうか。
竹田さんは、ここ数年、
据置型ゲーム機の開発に関わってきましたが
「実は昔、ゲームソフトもつくってたんですよ」と聞いて
のけぞる人が大半だと思うんです。
まず最初に、どうして業務用の『パンチアウト!!』を
つくることになったのか、教えてもらえますか?

竹田

大きなキッカケは2つありましてね。
まず、ひとつめなんですけど、
『パンチアウト!!』をつくったのは1983年頃なので
いまから26年前くらいの話になりますけど、
当時の任天堂は、コインを入れて動くような
業務用のビデオゲーム機をいろいろつくっていたんですね。
ところが、モニターに使うためのテレビの在庫が
たくさん余ってしまったんです。

宮本

いきなりその話から(笑)。

岩田

竹田

ま、テレビが余りましてね(笑)。
それをやっぱり何とかせんとあかんなと。

宮本

『ドンキーコング』(※3)のシリーズが売れて、
同じ調子でどんどん買っていたら・・・。

※3

『ドンキーコング』=業務用ビデオゲーム。1981年発売。

『ドンキーコング』

竹田

テレビが余ってしまったんです。
宇治の工場にたくさん。

岩田

業務用のゲーム機に使うために
当て込んで仕入れたテレビがいっぱい余ってしまったと。

竹田

そうなんです。それで命題が与えられまして。
新しい業務用のゲームを
2台のテレビを使ってつくりなさいと。

岩田

2台のテレビ?(笑)

竹田

1台よりも2台のほうが在庫がはけるからと。
まあ、そういうことがありましてね。

岩田

でも、2台のテレビを使うからといって
ボクシングゲームには結びつきませんよね。

竹田

普通はそうですよね。
それで、もうひとつのキッカケになるんですが、
新しい基板がありましてね。
オブジェクトをズームできるという。

岩田

ズーム、つまりモニターに映った物体を
拡大・縮小したりできるんですね。

竹田

普通は、拡大・縮小を使ってゲームをつくるとなると
フライトシミュレーションのような
飛行機ものをつくるのが一般的なんですけど、
別の使い方があるんじゃないかということで
ボクシングをテーマに選んだんです。

岩田

わたしの頭のなかでは
どう考えても縮小・拡大が
ボクシングゲームに結びつかないんですけど(笑)。

竹田

確かに相性がいいとは言えないですよね。

岩田

(笑)

宮本

ちょっと話が長くなりますけどいいですか?

岩田

はい。

宮本

大昔に、竹田さんは『EVRレース』(※4)という
業務用のゲームをつくったんですよね。

『EVRレース』
→『EVRレース』

※4

『EVRレース』=1975年に発売された、メダルゲームマシン。連勝複式で勝ち馬を予想する競馬ゲーム。

竹田

1975年頃に出した競馬のゲームですね。
あれをつくったとき宮本さんは・・・。

宮本

まだ学生でした(笑)。その『EVRレース』は、
任天堂が初めて出したビデオゲームだったんです。

岩田

それで竹田さんは、任天堂初の
ゲームデザイナーということになるんですね。

宮本

そうなんです。で、『EVRレース』は
ビデオテープを使ったビデオゲームだったんです。
いわゆるメカもののゲームでしたので
出した後のメンテナンスがものすごく大変だったそうなんです。

岩田

故障が多かったんですね、メカものだから。

宮本

ええ。それと『パンチアウト!!』をつくった当時、
レーザーディスクゲーム(※5)
次のブームになるんじゃないかと言われていたんです。
でも、レーザーディスクゲームを世界中に販売したら
メンテナンスで大変なことになるというのはわかっていたんです。

※5

レーザーディスクゲーム=映像表示にレーザーディスクを採用したビデオゲームの総称。LDゲームとも呼ばれた。

岩田

つまり、『EVRレース』の経験で
メンテナンスの大変さが身にしみていたと。

宮本

はい。
けど、営業からは欲しいと言われるんですよ。
それで、なんとかレーザーディスク相当のものを、
半導体でできないかということでいろいろ検討したんです。
そこで、ズームアップができて
レーザーディスク並に大きな絵が出せる
その基板に注目するようになったんですけど
僕に言わせると、それがくせ者で・・・(笑)。

岩田

くせ者?(笑)

宮本

当時は『ドンキーコング』を出したあとだったんですけど、
たとえばタルが回転して転がるような絵は
ドット絵で1コマ、1コマ描いていたんですね。

岩田

全部手描きで。

宮本

だから、すごく手間も時間もかかるんです。
そこで、1枚のタルを描いて
それを回転させるようなことは
ハードの側で処理できないんですか?と聞くと
「できなくはない」と言われるんです。
当時は「できない」から「できなくはない」になってきてて、
いろんなものがつくられていった時代でもあるんですけど
まだまだ、帯に短したすきに長しというか。

岩田

まだまだ開発途上だったんですね。

宮本

ズームで大きくはできると言うんです。
けど回転はできないと。
一方で、回転はできるけど、大きく表示できないと。
しかも拡大できても、1枚しか表示できないと言うんですね。
「じゃあ、タルは1個しか転がらないんですか?」と(笑)。

岩田

(笑)。
タルが1個だけじゃ『ドンキーコング』にならないですね。

宮本

それで、基板を使って
さらにテレビも2台使うという命題が出ていたので
それを横に並べて
大きなレーシングゲームも検討してみたんですけど
とてもそんなものができるほどの能力はないんですよ。
拡大できるのは1枚だけなので。

岩田

(笑)

宮本

すると竹田さんが、
「1枚だけしか使えないのなら、人を1枚出すのはどう?」と。
そこで、対戦相手が1人ですむ
ボクシングをテーマにつくることになったんです。
けど、ボクシングだったらモニターは1個で十分なんですよね。

岩田

2台もテレビは必要ないですよね(笑)。

宮本

それで、困ったなあと。
けど、ボクシングのスタジアムって、
大きな照明とか垂れ幕が天井から下がっていて、
そこに「世界ヘビー級タイトルマッチ」とか書いてあるし、
ゲーム中にメーターとかいろいろいるでしょうから、
2画面あったほうが
雰囲気が盛り上がるんじゃないかということで、
試しに、上下に2台並べてやってみたんです。
そしたら、感じがよかったので、
2画面で行きましょうということになったんですね。

業務用ゲーム機『パンチアウト!!』
→業務用ゲーム機『パンチアウト!!』

竹田

ゲーム&ウオッチに続く
デュアルスクリーン(DS)なんです。

岩田

2画面については
かれこれ25年も前から考えていたんですね(笑)。