1. アルバイト雑誌を見てゲームの世界に

岩田

今日は『FFCC クリスタルベアラー』を
完成されたばかりの河津さんに
京都においでいただきました。
昨日、完成バージョンを
京都にお持ちいただき、提出いただいたばかりですよね。
お疲れのところ申し訳ありませんが、
どうぞよろしくお願いいたします。

河津

よろしくお願いいたします。

岩田

河津さんとわたしは、たまたまなんですが、
同じ時期に東京工業大学に通っていたご縁がありまして(笑)。

河津

ええ。確か、わたしが3年後輩で(笑)。

岩田

学生時代は学部が違っていましたので
当時はまったく面識がありませんでしたが、
この世界で働くようになってからは
河津さんの存在とご活躍を知るようになり、
なんと同窓の東工大ご出身と知って、
ちょっと不思議な『ご縁』を感じていました。
私たちの世代では、同窓生たちの中で、
ゲームをつくることを仕事にすることは
珍しかったからでしょうね。
ずいぶん前から、何度かお会いしていたのですが、
でも、こうやって一対一で向き合い、
じっくりお話をさせてもらうのは
実は初めてだったりするんですよね。

河津

そうですね(笑)。

岩田

そこで、最新作の話に入る前に
河津さんがこれまでどんなことに
取り組んでこられた方なのか、
そんな話からお訊きしてみたいと思います。

河津

はい。

岩田

そもそも、河津さんが
ゲームづくりに関わることになったのは
いったい何がきっかけなんですか?

河津

子どもの頃の時代にさかのぼりますと、
自分なりの遊びを考案して、それをみんなに楽しんでもらうと。
小学生のときはみんなそうだったと思うんですけど。

岩田

はい、もちろんわたしもやってました(笑)。

河津

わたしも例外ではなくって、
たとえばスーパーのちらしの裏などを使って
ゲームを手作りして、みんなで遊んでいたりしていました。

岩田

手作りの盤ゲームをつくってたんですね。

河津

はい。ゲームづくりのルーツと言えば、
最初はたぶん、そこが出発点だったと思います。
それで、コンピュータに出会ったのは大学に入ってからですね。
そもそも大学は理工系でしたし
コンピュータ好きな友人がとても多かったんです。
当時はApple II(※1)が出たばかりだったので・・・。

岩田

Apple II はとても高価でした。
私は、Apple IIが高くて買えなかったから、
最初のコンピュータがコモドールのPET(※2)だったんです。
当時、Apple II は
お金を持ってる人しか買えませんでしたよね。

※1

Apple II =1978年に、アップルコンピュータ(当時)が発売した、世界初の個人向けマイクロコンピュータ(マイコン)。

※2

PET=PET2001。1977年に、コモドール社が発売した、世界初のオール・イン・ワン・ホームコンピュータ。

河津

そうなんです。
わたしの場合は、友だちがApple II を買いまして、
「ちょっと遊ばせて」と、みんなで触ることができたんです。
そのあたりからでしょうか、コンピュータゲームに目覚めたのは。
だから、その友だちは自分にとって、
ゲームの師匠と言ってもいいくらいの存在でした。
彼はコンピュータゲームだけでなく、
アナログのゲームを教えてくれた師匠でもあるんです。
もともと彼は、ボードゲームを収集して遊ぶのが大好きで、
海外から個人輸入していたくらいで。

岩田

あの当時、個人で輸入していたんですか?

河津

ええ。2ヵ月か3ヵ月に1度、
アメリカからボードゲームが送られてきまして。
それこそ両手を広げても、手が届かないくらい
でかい段ボール箱に何十個も入った状態で。

岩田

それはすごいですね。
まだインターネットが普及する遙かに前ですから、
その頃に、そんなことをしている方は
相当珍しかったんじゃないですかね。

河津

それで、その箱が届くと
仲間とその友人の家に集まって
みんなでいっしょに箱を開けて、
「お前はこのルールを読め。お前はこっち」みたいな感じで
英語で書かれたルールブックを手分けしながら読んで、
みんなで遊ぶようなことをしていたんです。

岩田

河津さんは子どもの頃から
ゲームづくりに興味があったけど、
大学のときに、ゲームのルールや戦略について
集中的に鍛えられたようなところがあるんですね。

河津

そうですね。
ルールブックを読むときに、まずシーケンス、
つまりゲームの手順を大ざっぱに把握して、
そのあとマップを見て
どんなゲームなのかを素早く把握すると。
細かいところまでじっくり読んでいると
なかなかゲームがはじめられませんから(笑)。

岩田

英語で書かれた分厚いルールブックを
細かいところまで読んでいたら、
目的は、ゲームで遊ぶことなのに、
それだけで1日が終わってしまいますからね(笑)。

河津

なので、細かいところはどうでもいいから
とにかく遊んでみようと。
ゲームの流れが、面白さの善し悪しを決めるようなことは
そのときに学んだように思いますし、
きっといまの自分のベースになってるんでしょうね。
それに、自分が子どもの頃から
ずっと“夢の機械”と考えてきたコンピュータが
少しずつ身近になりはじめていた時代でしたので・・・。

岩田

わたしのほうがちょびっと年上ですけど、
ほぼ同世代ですから、
コンピュータが夢の存在みたいなことは
たぶん、学生時代の共通の想いとしてありましたよね。

河津

そうですね。
ただ、当時のコンピュータの価格はとても高くって
なかなか個人が手が出せるような代物ではなかったんですけど、
それでも、それを持ってさえいれば
自分のやりたいことが何でも実現できるんじゃないかと、
そんなふうにも思っていましたしね。

岩田

わたしは当時のことを思い出すと
とても強烈に覚えている広告コピーがあるんです。
TK-80という、NECが販売していた
ボード型マイコンの広告コピーなんですけど、
そこには「無限の可能性」と書かれてあったんですね。
当時はパソコンという言葉がなくて
マイコンと呼ばれていましたけど、
あれほど少ないメモリなのに
どうして「無限の可能性」と言うかなあと(笑)。

河津

あははは(笑)。

岩田

でも、その広告にはそう書いてあったし、
コンピュータに興味のある人は
「無限の可能性」があるような気持ちになったんですよね。

河津

なりましたね。

岩田

そういう気持ちがあったから
河津さんもわたしも、たぶん吸い寄せられるように
似たような道に進むことになったんでしょうね。
だから、根っこはいっしょなんですよね、わたしと(笑)。

河津

そうですね(笑)。

岩田

で、そのようにゲーム三昧の学生生活を送りながら、
どうやってスクウェア(現スクウェア・エニックス)さんとの
ゲームづくりと出会うんですか?

河津

これはお恥ずかしい話なんですが(笑)、
キッカケはアルバイト雑誌です。
たまたま、求人広告が載っていたんですけど、
スクウェアという会社のことはまったく知らなくて・・・。
ところが、ちょうど『水晶の龍(ドラゴン)』(※3)が出た頃で、
その広告に佐藤元さん(※4)のイラストが載っていて
それが目にとまったんです。

岩田

ゲームソフトとそれをつくっている会社が
結びつかなかったんですね。

※3

『水晶の龍(ドラゴン)』=1986年12月に、スクウェア(当時)から発売されたアドベンチャーゲーム。ファミコンのディスクシステム用ソフトとして登場。

※4

佐藤元さん=アニメーター、マンガ家。『水晶の龍』ではキャラクターデザインと作画協力を担当。

河津

はい。それに、当時はゲームをつくるような仕事の募集は
あまりなかったものですから、応募することにして、
電話をかけて、最初に言われたのが
「昨日締め切りました」と。

岩田

(笑)

河津

「ええっ、そうなんですか」と言いながらも
それでも、いろいろ話しているうちに、
「とりあえず面接に来てください」
ということになったんです。

岩田

そのとき、電話に出た人が
「締め切ったから来ないでください」と言っていれば・・・。

河津

どうなっていたんでしょうね(笑)。
で、面接に行くと最初に会ってくれたのが
『FF』シリーズのプロデューサーの田中(弘道)さん(※5)で、
次の面接が坂口(博信)さん(※6)だったんですけど
「まあ、とりあえずバイトからやって」と言われまして、
それでスクウェアに入ることになったんです。

※5

田中弘道さん=現スクウェア・エニックス エグゼクティヴ・プロデューサー。『ファイナルファンタジー』シリーズでは3作目まで関わったほか、『FF XI』ではプロデューサーをつとめた。

※6

坂口博信さん=『ファイナルファンタジー』シリーズの生みの親。2001年に独立し、ゲーム開発会社・ミストウォーカーを設立。

岩田

『ご縁』というのは、本当に不思議なものですね。
わたし自身、HAL研究所でアルバイトをし、
そのまま転がり込むようなカタチで働くようになったのも、
偶然その会社を設立しようとした人に
何人かの趣味を同じくする学生達といっしょに
西武百貨店池袋店の売り場で出会って
お話しするようになっていたことがキッカケでしたから。

河津

本当に偶然だと思いますね。
師匠と呼べる友人に出会ったのも、
そのときコンピュータとゲームの知識を得たのも、
バイト雑誌でスクウェアという会社が目にとまったのも
たまたまですし。

岩田

たぶん、そういう偶然に出会わなければ、
興味を持った対象は違っていて、
ぜんぜん違う人生を歩んでいるかもしれない。

河津

そうですよね。

岩田

ましてや、
「締め切ったから来ないでください」と言われていれば(笑)。

河津

こうやって岩田さんから
話を訊かれることもなかったかもしれません(笑)。

岩田

不思議ですね。

河津

不思議です。