1. コンセプトは『“もっと”スーパーマリオギャラクシー』

岩田

『マリオギャラクシー』(※1)は前作の時も
東京出張版「社長が訊く」(※2)になりましたが、
今回も東京制作部のみなさんからお話を訊くタイミングが
開発の佳境に重なってしまいましたので、
東京支店で訊かせてもらうことにしました。
今日はよろしくお願いします。

一同

よろしくお願いします。

※1

『マリオギャラクシー』=『スーパーマリオギャラクシー』。2007年11月発売のWii用アクションゲーム。

岩田

ではまず、みなさんの自己紹介と、
今回どんなことをしたか、お話ししてもらえますか。

小泉

東京制作部の小泉です。
前作の『マリオギャラクシー』では
ディレクターを担当しましたが、
今回は3人のディレクターを立てて、
わたしはプロデューサーの立場で、現場から一歩引いて、
アドバイスをする立場で加わっていました。

林田

同じく東京制作部の林田です。
今回はディレクターを担当しました。

岩田

林田さんにとって
ディレクターとしてこれほどの規模のソフトを
担当するのは初体験になるんですよね。

林田

初体験です。
ただ、17年ほど前に『ジョイメカファイト』(※3)という
対戦格闘ゲームのディレクターをしたことはあります。
今作では、スタッフから提案されたいろんな要素を
ひとつのものにまとめていく仕事をしました。

※3

『ジョイメカファイト』=1993年5月にファミコン用ソフトとして発売された、対戦型格闘ゲーム。

早川

東京制作部の早川です。
今回はプログラムのまとめ役を担当しました。
とくに今回の仕事で心がけたことは
自分でがんがんプログラムを組むというよりは、
他のプログラマーが力を発揮できるように、
いろいろ気を配りながら
プログラム全体をみるようなことをしていました。

元倉

東京制作部の元倉です。
デザイン関係のまとめ役を担当しました。
前作ではプレイヤーキャラクターなどを
自分でつくる立場だったのですが、
今作では早川さんと同じように、ちょっと引いた立場で
仕様を書いたり、その仕様に合う実験モデルをつくったりしながら、
周りのスタッフが動きやすいような環境をつくることを
心がけながら仕事をしていました。

小泉

実はここにいるのは
『マリオサンシャイン』(※4)で仲間になったメンバーなんです。

岩田

じゃあ、10年来のつきあいになるんですね。

小泉

はい。

※4

『マリオサンシャイン』=『スーパーマリオサンシャイン』。2002年7月に発売されたゲームキューブ用3Dアクションゲーム。

岩田

では、まず最初に
どうやって『スーパーマリオギャラクシー 2』の
開発がはじまったのか、
その話から訊くことにしましょうか。

小泉

実は、前作の『マリオギャラクシー』をつくった直後に、
「これだけのパワーを使ってつくった土台となるシステムなんだから、
もう1本つくらないか?」と宮本さんから言われてたんです。

岩田

『時のオカリナ』(※5)のあとに、
『ムジュラの仮面』(※6)をつくって以来、
宮本さんはずっとそのやり口を持っているんですよね。

※5

『時のオカリナ』=『ゼルダの伝説 時のオカリナ』。『ゼルダ』シリーズで、初めて3D化された。NINTENDO64用ソフトとして、1998年11月発売。

※6

『ムジュラの仮面』=『ゼルダの伝説 ムジュラの仮面』。NINTENDO64用ソフト。『時のオカリナ』が登場して1年5ヵ月後の、2000年4月に発売。

小泉

はい。でも、現場のスタッフに対して、
「前作のシステムを使って次をつくろうよ」と
このタイミングで言ったところで、
すぐには「じゃあやりましょう」という気持ちには
なれないものなんです。

岩田

そうでしょうね。
自分たちのなかに何かやり残した感がないと、
なかなか次にすすもうという気持ちになれませんから。

小泉

そこで、前作の仕事は2007年の秋に終わったんですけど、
そのあとで反省会を開くときに僕からひとつ注文を出したんです。
それは、「悪かったことを反省する会」にするのではなく、
よかったことをみんなで話し合う「振り返る会」にしてほしいと。
それと、その会では僕は聞き役に回ることにしたんです。

岩田

黙ってじっと話を聞いているのは辛くなかったですか?

小泉

辛かったです(笑)。でも話を聞いていたら
とても前向きな発言がみんなからどんどん出てきたんです。
「ここはやり方がよかったけど、
もう少しこうすれば、さらによかった」とか、
「このネタは残念ながら使えなかったけど、
本当は使えばよかった」みたいな感じで。
そこで僕は「よしよし」と思いまして(笑)。

岩田

「しめしめ」と?

小泉

はい(笑)。そこで、
その手ごたえをもって、この企画について宮本さんに相談したら
「『マリオギャラクシー 1.5』でいいんじゃないか?」と
そうおっしゃったんです。

岩田

前作の球状地形をそのまま活かし、
ネタを追加することで新しいものができるという話でしたね。
その話は宮本さんからも訊きました。
で、「『1.5』をつくろう」という話を聞いて、
ディレクターのみなさんはどう思ったんですか?

早川

僕はとても面白いなと思いました。
そういう作り方は、これまでの『マリオ』シリーズでは
あまりやってこなかったことですし、
そもそも土台ができていますので、そこに力をかけなくていいぶん、
ゲームの中身を充実させることができると思ったんです。

小泉

その当時のことをよく覚えているんですけど、
僕が話をしたら、早川さんから
「『“もっと”スーパーマリオギャラクシー』になるということですか?」
という話が出てきて「ああ、それだ」と思ったんです。
前作を振り返ったときに、僕らは“もっと”つくりたかったはずなので、
そのときから『“もっと”スーパーマリオギャラクシー』というコンセプトでやろうと
みんなに説明するようになったんです。

岩田

で、『“もっと”スーパーマリオギャラクシー』と言われた
林田さんと元倉さんはどう思ったのですか?

元倉

実は・・・僕は前作でちょっと出し切ってしまって。

林田

実は僕もそうです。
出し切ってしまって、カラカラの出がらし状態でした。

一同

(笑)

岩田

早川さんは「もっとやるぞ」と言っていた一方で、
林田さんと元倉さんは「もう出し切ってしまって、これ以上は・・・」
という状態からはじまったんですね。

林田

すべてを前作でやってしまった感があったんです。
もともとすごく大量のアイデアがあって、
そのいい部分だけを凝縮して、前作をつくりましたので。
ですから、残っているものはもうそんなにないかなと。

早川

ですから、最初の頃はミーティングをしても、
2人ともテンションがすごく低かったんです。
それを感じていましたので、
あえて僕はポジティブに発言していこうと
意識してミーティングをやってました。

林田

あ、そうだったんだ、やっぱり。

元倉

たしかにそんな感じがしてました。

岩田

(笑)

早川

そこで、まず意見を出し合って一致したのは
前作には出なかったヨッシーの登場だったので、
そこからはじめることにしました。

岩田

ヨッシーが登場することは
初期の段階から決まっていたんですね。

小泉

はい。実はこれがちょうど5年前に書いた
『マリオギャラクシー』の企画書なんですが・・・。

岩田

ああ、ヨッシーに乗ったマリオの絵がありますね。

小泉

はい。ですから、今作をつくりはじめるときに
彼らがこの企画書のことを思い出してくれたのかなあと。

岩田

なるほど。
そもそもヨッシーは前作に登場する予定だったんですね。
それが出てこなかったのはどうしてなんですか?

早川

やっぱりヨッシーを出すとしたら、
メインに持ってこないといけないと思うんですけど、
前作のときに球状地形や重力という
これまでにない要素がいっぱいあって、
そこにヨッシーを入れると
遊びの要素が多すぎるゲームになってしまうと考えたんです。

小泉

ヨッシーを登場させたとしても
ひとつのステージでしか使わない可能性もあったんです。

岩田

ヨッシーがそれでは、もったいないですね。

小泉

ええ、もったいないと思いました。
それであきらめたんです。