社長が訊く
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社長が訊く『ニンテンドー3DS』ソフトメーカークリエーター 篇

社長が訊く『ニンテンドー3DS』ソフトメーカークリエーター 篇

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第13回:『THEATRHYTHM FINAL FANTASY』

目次

1. 「ゲームをつくりたい」

岩田

今日は、ニンテンドー3DSソフト
THEATRHYTHM FINAL FANTASY』について、
プロデューサーであるスクウェア・エニックスの
間(はざま)さんにお話をお訊きします。
間さん、初めまして。

初めまして。
どうぞよろしくお願いします。

岩田

よろしくお願いします。
最初に、間さんのこれまでのゲームとの
かかわりからお話をお訊きしたいと思います。
もちろん、最終的には
ソフトの話につなげていきたいんですが、
商品って必ずつくった方の経験とか、
考え方とかが反映されると思うんです。

はい。

岩田

間さんと、ビデオゲームの出会いは
そもそもどんなものだったんですか?

ゲームを遊ぶ側からですと、高校の帰りに友だちと
よくゲームセンターに行ってた記憶はあります。
もっとさかのぼると、
中学上がりたての頃からファミコンは遊んでました。
自分の家にはゲーム機がなかったので、
友だちの家で一緒に遊ばせてもらっていました。

岩田

その頃に遊んでたゲームって、
どんなゲームでしたか?

ひたすら『マリオブラザーズ』(※1)でした。
「そろそろお家の方が心配してるんじゃない?」って、
その家のお母さんから言われるまで、延々と。
言われたらカートリッジだけ持って、
また別の友だちの家に行くという・・・。

※1
『マリオブラザーズ』=アーケード版・ファミコン版、ともに任天堂から1983年に発売されたアクションゲーム。

岩田

あの頃、コントローラを奪い合ってましたよね。

はい(笑)。
どこの家でもそんな感じで、
それがゲームとの出会いのようなものだったと思います。

岩田

そんな風にゲームと親しんでいくなかで、
いまの間さんとつながっていることはありますか?

子供の頃の自分にとって、ゲームは
友だちと遊ぶのに欠かせないものではあったんですが、
そこはそれだけで止まっていた気がします。
さっきも言ったように、自分の家ではゲーム機を
買ってもらえなかったこともありましたから。

岩田

それは、家の方針でそうだったんですか?

おそらくそうですね・・・。
・・・なんかこんな風に
自分のことを話すのは初めてです(笑)。
いまは親とよい関係なんですけど、
当時はいろいろ、厳しいところもありました。

岩田

はい。

たぶんその反動もあって、
一人暮らしを始めてからは
自分で働いて得たお金で、
それまでやりたくてもできなかったことを
次々にやっていったんです。

岩田

それは、たとえばどんなことですか?

まぁ、いま思うとくだらないんですが、
映画で見る泡のお風呂に入りたい、とか(笑)。
家だとどんなにぜいたくでも、
親が入れてくれるのは「××の湯」みたいな
やつじゃないですか。

岩田

たしかにそうですね(笑)。

あと風呂場でテレビを見たいとか・・・
なんか俺、お風呂ばっかりだな(笑)、
でもそんなことが、たくさんあったわけです。

岩田

なにをしても、
誰にも文句を言われない、っていうのを
味わいたかったんですね。

はい。その流れでゲーム機を買おうっていうのが
かなり早い段階でやってきまして。
そのとき初めて自分のお金で買ったのが、
スーパーファミコンと
『ファイナルファンタジーVI』(※2)だったんです。

※2
『ファイナルファンタジーVI』=1994年にスクウェア(現スクウェア・エニックス)からスーパーファミコン用ソフトとして発売されたシリーズ6作目のナンバリングタイトル。

岩田

『FF』との出会い、ですね。

はい。それで帰って、
さっそく家のテレビにつないで、
カートリッジを本体に差して、
「さぁやるぞ!」ってコントローラを手にして、
あのオープニングを見たんです。
・・・それはもう、すごい衝撃を受けました。

岩田

それ以前に見知っていたゲームとは
まったく次元が異なる衝撃を受けたんですね。

ええ、もう、すごかったですね。
映画の一場面みたいに、
魔導アーマーという人型兵器が吹雪の中を進み、
スタッフクレジットがかっこよく映し出されて・・・。
そのとき初めて自分で買って、
能動的にゲームに向き合ったこともあったので、
一発で心をわしづかみにされました。

岩田

ゲームに初めて心をつかまれた瞬間ですね。

はい。
当時はバンダイ(現バンダイナムコゲームス)の
ゲーム部門にいたのですが、仕入課におりまして。
もちろん、その後自分が、
そのゲームをつくった会社に入るなんて
ぜんぜん想像していませんでした。

岩田

ゲームの開発とは、
直接はかかわりがない部門ですしね。

はい。商品をいつまでに倉庫に入れるとか、
できあがった商品を扱うのが主な仕事でした。
でも正直に言うと、その間にだんだんと
「ゲームをつくりたい」という気持ちが、
ぼんやりですけど、高まってはいたんですね。
でも、だからすぐに、というわけにはいかなくて。

岩田

何かきっかけがないと、難しいですよね。
もともと特別に絵が上手だったり、
プログラムの技術があったりすると、
入り口から入りやすいんですけど。

そういう意味では、いまの自分は
プロデューサーという役職ではありますけど、
「ゲームが好き」っていうだけで、
クリエーターではない、と思っているんです。
でも、その頃から、自分でつくるわけじゃないんですけど、
「何かやってみたい」という欲求は
すごく高まっていたように思います。

岩田

やっぱり、開発という立場でないとしても、
たとえば仕入れをすると、
自分が適切な発注をするためには
商品のことは知らなければいけないわけですよね。

そうです。

岩田

市場での評判を知らなければいけないし、
そこを間違えば、会社には在庫という形で迷惑がかかる。
そういった中でいろんなことが見えてきて、
「商品がもっとこうだったらいいのに」とか、
「ここが受けてるんだ」とか、
どんどんたまっていったんですよね

ああ、そうです。たまりましたね。

岩田

それがなかったら、
きっとそういう目でモノは見ないですから。

ええ。

岩田

つくる側にポンとまわっても出せないですよね、きっと。

あの・・・結果論というか、
いまにして思うと、すごくそれがあったんだと思います。

岩田

よく、こうやってお話をしていると、
「人生にムダな体験ってないんだなぁ」というか、
後で自分でやることに意味が出てくるというか。

ええ、ええ。

岩田

そのとき、いい面ばっかり感じてないことであっても、
そうなるものだなぁって、よく思うんです。

はい・・・すごい、すごいですよ。
いまお話しながら、自分のこと
「あっ、俺そうだったんだ」ってなってます(笑)。

一同

(笑)

岩田

スクウェア(現スクウェア・エニックス)さんに
転職されたのは、それがきっかけですか?

それもありますね。
バンダイで仕入れを5年ほど担当した後、
いまの執行役員である橋本(真司)(※3)に誘われて・・・、
というか、だまされた感じで(笑)。

※3
橋本真司=スクウェア・エニックス 第1制作部コーポレート・エグゼクティブ。旧スクウェア時代からプロデューサーとして『ファイナルファンタジーVII』をはじめ多くの作品を手がける。

岩田

それはどういうことですか?(笑)

スクウェアに呼ばれたときは、
僕は当然、ゲームの仕事にちがいないと
思い込んでいたんですけど、
入社して早々、グッズ部門が新設されて、
そこをまかされたんです。
「バンダイにいたからキャラものが得意だろう」
という理由で(笑)。

岩田

あははは(笑)。
「キャラクターグッズをつくってくれ」
ということですか?
間さんはゲームの仕入れを担当されていたんですから、
過去にグッズづくりを経験したことはなかったんですよね?

はい。まぁ、それでも新しい経験でしたし、
とくに深く悩むこともなく、
グッズをつくるかたわら、
いろんなお手伝いを日々続けて。

岩田

はい。

それである日、ふとした雑談の中で、
野村(哲也)(※4)が、
「なんだかんだ、うちの会社に入った人は、
 その人がどんな職種だろうとゲームが好きだし、
 いつかゲームをつくりたいはずだ」って、
言ったことがあったんです。そのときに
「あっ、俺もそうだった・・・」って思い出したんです。

※4
野村哲也=スクウェア・エニックス所属のクリエーター。キャラクターデザイナーとして『ファイナルファンタジーVI』の頃からシリーズのキャラクターデザインを数多く担当。またディレクターとして『キングダム ハーツ』シリーズなどを手がける。

岩田

野村さんの言葉を聞いたことで、
自分の中に漠然とあった気持ちがはっきりした、
っていうことですね。

はい。それで自分の中で
いろんなことが一気に整理されて、
「いま、実現できるところにいるんだ・・・」って、
そのとき気づいたんです。

岩田

野村さんのひとことが、
間さんの人生を変えたんですね。