社長が訊く
IWATA ASKS

社長が訊く『ニンテンドー3DS』ソフトメーカークリエーター 篇

社長が訊く『ニンテンドー3DS』ソフトメーカークリエーター 篇

本文の一部を引用される場合は、必ず、本ページのURLを明記、
または本ページへのリンクをしていただくようお願いいたします。

第17回:『ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランド3D』

目次

1. 「超能力っぽい」

犬塚

わたしはふだん、めったにスーツを着ないので・・・。
着ると怪しくなるというキャラクターなんですけど、
さすがにジャージを着るわけにはいかないので、
珍しく着てきました(笑)。

一同

(笑)

岩田

はい、今日はどうもよろしくお願いします。

堀井

どうも。

犬塚

よろしくお願いします。

岩田

『ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランド』(※1)
3Dになって14年ぶりにフルリメイクされることになりました。
『ドラゴンクエスト』(※2)といえば、おなじみの堀井雄二さんと、
ずっと『ドラゴンクエストモンスターズ』シリーズ(※3)
プロデュースされてきた犬塚太一さんにお訊きしたいと思います。
まず『ドラゴンクエストモンスターズ』が
どのように生まれたのか、という話からお願いします。

※1
『ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランド』=1998年9月、ゲームボーイ用ソフトとして発売された『ドラゴンクエストモンスターズ』シリーズ1作目。
※2
『ドラゴンクエスト』=通称『ドラクエ』。シリーズ1作目は1986年5月にファミコン用ソフトとして発売され、家庭用ゲーム機におけるロールプレイングゲームの代名詞ともなった。
※3
『ドラゴンクエストモンスターズ』シリーズ=『ドラクエ』の外伝的シリーズ。最新作『ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランド3D』は2012年5月31日、ニンテンドー3DS用ソフトとして発売。

堀井

確か14年前、彼(犬塚さん)が言い出したんじゃないかな。

犬塚

でも、さらにさかのぼると、
じつは初代プロデューサーの千田(幸信)さん(※4)なんですよ。
当時、千田さんの周りで競馬がはやっていて、
「『ドラクエ』のモンスターで“配合”のゲームができないか」
みたいな話があって、それで堀井さんに相談しました。

※4
千田幸信さん=スクウェア・エニックス取締役の千田幸信氏。『ドラゴンクエスト』の生みの親のひとりであり、永年、同シリーズのプロデューサーを務める。

岩田

“配合”というのは、競馬の血統の・・・?

犬塚

はい。『モンスターズ』の発想は、
それ、ありきなんですよ。

岩田

あ、競馬の血統ありきなんですか!?

犬塚

ええ(笑)。“配合”って単語が先にあって、
最終的にゲームになっていきました。

堀井

それで「主人公キャラクターをどうしよう」という話があって、
すでに『トルネコ』(※5)は出ていたから、
「テリー(※6)の少年期がいいんじゃないか」と。
もともと、テリーのデザインは『VI』(※7)
主人公として鳥山先生(※8)に描いてもらったんです。
でも、主人公にしてはちょっと個性が強かったから、
「別のキャラクターで使わせてもらいます」
ということで、生まれたのがテリーなんです。

岩田

はあー・・・。

※5
『トルネコ』=『トルネコの大冒険 不思議のダンジョン』。1993年9月、スーパーファミコン用ソフトとして発売されたダンジョンRPG。トルネコは『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』に初登場する武器商人。
※6
テリー=『ドラゴンクエストVI 幻の大地』に登場するさすらいの剣士。
※7
『VI』=『ドラゴンクエストVI 幻の大地』。1995年12月、スーパーファミコン用ソフトとして発売されたRPG。『ドラクエ』シリーズ6作目。
※8
鳥山先生=漫画家の鳥山明さん。『Dr.スランプ』や『ドラゴンボール』など代表作多数。『ドラゴンクエスト』シリーズ全作のキャラクターデザインを手がける。

犬塚

だから初期構想では、
テリーは物語にいなかったんですよね。

堀井

そう。

岩田

本当に、ものづくりでは
何が起こるかわかりませんねえ・・・。

堀井

でもその時期、
まさにボクは『VII』(※9)とか
スーファミ版の『III』(※10)とかつくっていたから、
基本的にはみんなにおまかせしていて、
最後の最後で調整に入った記憶があります。

※9
『VII』=『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』。2000年8月に発売されたRPG。『ドラクエ』シリーズ7作目。
※10
スーファミ版の『III』=『スーパーファミコン ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』。1996年12月にスーパーファミコン用ソフトとして発売されたRPG。本作は、ファミコン版として1988年に発売されたシリーズ3作目のリメイク作。

犬塚

それから堀井さん、
入院されていましたよね。
シナリオを持って病院まで行って、
それで全ダメだしをくらいました(笑)。

岩田

病院で全ダメだしですか(笑)。

堀井

で、シナリオを修正したり、
配合表もけっこういじったよね。
強いもの同士をかけ合わせたときに
弱いのになるのがボクはどうも納得できなくて、
特殊配合をかなりつけ足した記憶があります。

岩田

『モンスターズ』のしくみができるまでには、
どういう変遷があったんですか?

犬塚

拠点の町があって、
自動作成ダンジョンがあって、
その奥にボスがいて・・・という構造自体は
多分、最初に堀井さんにお見せしたときから
変わってないんです。
ただ、配合所がいつオープンされるとか、
そういうステップの部分を堀井さんが直してくれました。

堀井

初期段階では、
最初からプレイヤーが一度にあらゆる場所へ行けたんですよ。
でも、それだとお客さんが
何をやっていいかわからなくなるから、
行けるところを少しずつ広げていくとか、
そういう変更をしました。

岩田

そんなふうに、自然にやることが増えていくというのは、
『ドラクエ』がなぜ誰でも遊べるのか、
という部分につながる、堀井さんの“調整の妙”
でもありますね。

堀井

まあ、ボク自体、説明書を読まない人なんです(笑)。
とりあえずさわってみて、
「感覚的にわからなくてはいけない」みたいな。

犬塚

とにかく、堀井さんの“プレイヤー感覚”が、
ちょっと・・・とてつもないんですよ。
普通、ゲームをつくっているとどうしても、
開発側の気持ちになってしまうんですけど、
堀井さんは、ホンッッッッッッッットに、
ならないですよね!

一同

(笑)

堀井

・・・ボク的には普通の目線なんですけどね(笑)。

犬塚

そうですよ、だからこそです。
例えばサイコキネシスを使える人にとって、
それは普通のことじゃないですか?
そんな感じで、僕らから見ると
堀井さんの感覚は超能力っぽいんです。

岩田

はい、つくり手であるにもかかわらず
はじめてさわっている人の感覚が常にブレずにわかるのは
ある種の超能力でしょう。

堀井

(笑)

岩田

普通は一度さわって知ってしまうと、
知らない人の気持ちではなかなかものを考えられないです。
だから・・・普通じゃないと思います(笑)。

堀井

(笑)。あとボクが自分で得意だなと思うのは、
「だったらどうすればわかるようになるのか」
を思いつくことなんですよ。
これじゃわからないなと思ったあとに、
ポーーンと、そこだけは出てきちゃうんです。
「これ、こう直したほうがいいんじゃない?」
みたいな・・・。

岩田

それを首尾一貫、全部にやり尽くすのが、
シリーズのひとつの個性なんですね。

堀井

まあ、“安心感”なんでしょうね。
ゲームって、さわるまで
どんなものかわからないから不安だし、
自分では遊べないかもしれないから、
わからないこととか、いろいろ怖いじゃないですか。
でも「『ドラゴンクエスト』だったら遊ばせてくれるだろう」
っていう安心感があると思うんです。

岩田

『ドラゴンクエスト』が、お客さんにとって
絶対の安心ブランドになっているのは、
「やれば必ず最後まで連れていってもらえる」
という信頼関係が結ばれているからですよね。

堀井

はい。あと、“説明しすぎないこと”にも気をつけています。
ボク自身、あまりに説明されると
「あ、もういい。面倒くさそう!」って思っちゃうから(笑)。
プレイヤーに、ゲームシステムの全部を
理解してもらう必要はないんです。
とりあえず、わかった気になって
安心してプレイしてもらえれば、それでいい。

岩田

確かに、ただ丁寧にすればいいというわけではないので、
ほどよい加減がありますよね。
そのことも含めて、お客さんの気持ちを
感じとっていらっしゃると思います。

堀井

ちょっとしたバランス感覚なんですけど。
スタッフのみんなも、
その感覚を言えばちゃんとわかってくれるし、
だんだんよくなってきていますよ。

犬塚

そうですか?
そうやって堀井さんから言葉の断片をもらって
蓄積してはいるんですけど、
「今回は完璧!」って思って企画を提案しても、
「あ・・・確かにおっしゃるとおりです」って、
返り討ちにあう。

一同

(笑)

犬塚

自分たちも気づいてないような
根っこの部分の甘さを突かれることのくり返しなんです。
なんだかんだで20年経ちますけど(笑)、
いまでもびっくりするんですよ、ホントに。