3. ゲームボーイ初のRPGを開発

岩田

河津さんは『FF』シリーズからいったん離れて、
『魔界塔士 Sa・Ga』(※14)を開発されましたよね。
このソフトは、どういう経緯で生まれた商品だったんですか?

※14

『魔界塔士 Sa・Ga』=ゲームボーイ初のRPG。1989年12月にスクウェア(当時)より発売。

河津

当時の社長の宮本さんが、
「新しい携帯ゲーム機が出る」という話を
任天堂さんからもらってきまして。

岩田

ゲームボーイですね。

河津

はい。「ゲームボーイで何かつくってくれ」と言われたのが
最初のキッカケなんです。

岩田

携帯ゲーム機でつくるなら、
新しいシリーズとして、ゼロから考えようと
そのときに思ったんですか?

河津

そうです。
そもそも、ゲームボーイが登場するまでは
カートリッジを入れ替えて遊べる携帯ゲーム機はなかったですよね。
似たものとしてゲーム&ウオッチがあったくらいで。

岩田

そうでした。
でも、正直にお話しますと、
最初に『Sa・Ga』のことを聞いたとき、わたしは
「みんな、ゲームボーイでRPGをやりたいのかな」と思ったんですよ。
いまでこそ、携帯ゲーム機でRPGを遊ぶのは
常識になっていますけど。

河津

作り手にとっても
ファミコンに比べるといろいろ制約がありましたしね。
画面のサイズは小さいし、しかも白黒でした。
それに、遊ばれる環境が大きく変わりますし。

岩田

どこでも遊べるわけですから、
家のなかのテレビでやるときとは
プレイヤーの気分も違ったりしますよね。

河津

ですから、『FF』でやろうとしたこととは
まったく違うアプローチでつくらないといけないと。
そこで、どこで遊ばれるかということを
みんなで徹底して議論しながらつくりました。
たとえば、電車に乗っていて、電源を入れて遊んで
目的の駅に着いたらすぐやめて、ということになるので、
短時間で解いていく仕組みが大事だと思ったんです。

岩田

ゲームボーイは、DSのように
閉じたらスリープモードに入る
みたいなことはできませんでしたしね。

河津

しかも、1度もバトルをしないで
目的の駅に着いちゃったら面白くないんです。
そこでバトル頻度を増やすようなことをして。
その意味では、どんどん何かが起きるとか、
1回のバトルも短時間で終わるとか、
テレビの前でじっくり遊ぶときとは違う演出を
意識しながらつくるようにしました。

岩田

もともと河津さんは、
新しいことに挑戦するのがお好きなんでしょうね。

河津

いや、たまたまだと思うんです。
そのときはたまたま手が空いてたのがわたしで・・・。

岩田

でも、ただ単純に手が空いてたという話じゃないと思いますよ。
新しいもので、新しい構造のことを考えるのは
イヤじゃないというか・・・。

河津

そうですね・・・やっぱり楽しいです(笑)。
新しい遊びを考えるのはとても。
とくに、お客さんがどんな状況でプレイするのか、
それを考えることはすごく重要だと思ってるんです。
ゲームの中身にも大きく影響しますし。

岩田

そうですよね・・・。
では、時間に限りもありますし、時代を一気に飛んで、
『ファイナルファンタジー・クリスタルクロニクル』(※15)
いわゆる『FFCC』の話もちょっと訊きたいのですが。

河津

はい。

※15

『ファイナルファンタジー・クリスタルクロニクル』=2003年8月にゲームキューブソフトとして発売されたRPG。ゲームボーイアドバンスをコントローラ代わりに、最大4人までプレイできた。

岩田

もともと『FFCC』を開発することになったのは
前社長の山内(溥)が設立した
ファンドQ(※16)がキッカケでしたね。

河津

そうです。

※16

ファンドQ=任天堂の山内相談役が社長時代に設立した、ゲーム開発者支援基金のこと。

岩田

ゲームキューブと
ゲームボーイアドバンスの連動を使って、
新しい遊びをつくれないかと。
山内と河津さんの、そんな話からはじまったと
聞いたことがあるんですが。

河津

いえ、山内さんからいただいたお題は
連動をさせなきゃいけないとか、
そういうものではありませんでした。
「これまでのシリーズにはないような
新しい『FF』をゲームキューブでやれないか」
ということだったんです。

岩田

そうだったんですか。
でも、一口に新しい『FF』をと言われても、
なかなか難しいお題ですよね。

河津

ええ。自分でもどうしたらいいのか、
いまひとつピンと来なかったんです。
そこで、ちょっと特殊な環境になりますけど、
ゲームキューブとゲームボーイアドバンスを連動させて
マルチで遊べるようにすれば、アクションベースで
新しいタイプのRPGができるんじゃないかと思って、
開発を進めることになったんです。

岩田

その連動に関して
最初にどんなことをイメージしていたんですか?

河津

最初はゲームボーイの画面を作戦的に使って、
テレビ画面には結果が表示されてるといったような、
とても戦略性のある遊びを考えていたのですが・・・。

岩田

自分の手札が
相手に見えないからこそ成立する遊びですね。

河津

そうです。
そういうことは誰もが考えるところで、
最初はそこをみんなでめざしたんですけど、
実際にやってみると、両方の画面を交互に見ながら
ゲームができないことがわかりまして。

岩田

私たちがDSの開発を始めた頃に
さんざん議論したことでもあるんですが、
人は2つの画面を同時に見ることができませんからね。
手元のゲームボーイで戦略を練っていたら、
テレビ画面では別の絵が動いて
どっちを見たらいいのかわからなくなりますし。

河津

そうなんです。
そこですごく悩みました。
でも、その時点で、ゲームの動きや絵の表現が
とてもよくできていましたから、
テレビの画面をメインで遊ぶことに
割り切ってつくることにしたんです。
だから、最初に考えていたものとは
ぜんぜん違うものになりましたね。

岩田

で、実際につくってみて
お客さんの反応をどう感じましたか?
もともと『FF』シリーズは
1人用の遊びとして成長してきたところがありますから、
そこに多人数の遊びの構造を持ち込んだときに
不安に感じたお客さんもたぶんいらしたと思うんです。

河津

もちろんそこは不安もありました。
でも、開発現場ではワイワイ言いながら
みんなで楽しく遊ぶことができましたし、
きっとお客さんにも同じように楽しんでいただけるだろうと。
で、発売後にメディア芸術祭で賞(※17)をいただいたんですけど、
その授賞式のときに審査委員の中島信也さん(※18)
家族で楽しまれているという話を聞いたんです。

岩田

CMディレクターの中島信也さん。

※17

メディア芸術祭で賞=2003年に開催された文化庁メディア芸術祭で、『FFCC』がエンターテイメント部門で大賞を受賞。

※18

中島信也さん=CMディレクター。「日清カップヌードル“hungry?”」「サントリー:燃焼系アミノ式(回転少女)」などのCMで、数々の賞を受賞。

河津

はい。
「みんなでプレイするのが楽しいんだよね。
息子にリードされながらやってるんだよ」
みたいなことを言われて(笑)。
「家族で楽しめるこういうゲームもあるんだね」
みたいなことを言ってもらえたのが
ひじょうにうれしかったですね。
わたしたちがお客さんに伝えたかった
制作意図が表現できたとも思いましたし。

岩田

そうやって、『FFCC』が生まれたと。
やっぱり河津さんは
新しい構造を考えるのがお好きなんですね(笑)。

河津

そうみたいです(笑)。