ファミコンミニ発売記念「なつかしのあの1本」ファミコンとの思い出 思い出紹介!! えんぴつアイコン
これまでにお寄せいただいたコメントの中から、とくに「懐かしい思い出」、「泣かせる思い出」、「熱い思い出」をご紹介させていただきます。




 
 
タイトル:スーパーマリオブラザーズ
ペンネーム:kokico さん
年令:28 才
性別:女性
思えばまだ小学校低学年でした。学校に行けばスーパーマリオの話題で持ちきりでした。あまりねだったことのなかった私もこのときばかりは欲しくておねだりをしました。でも私の家は親が反対でなかなか買ってもらえませんでした。仕方なく友達の家で遊ばせてもらい、家に帰って音楽を口ずさんだり、マリオに思いをはせていました。そんな時、真っ白な自由帳を買ってもらったんです。何気なく開いてお絵かきをして遊んでいたところ、何度もやって鮮明に覚えていたマリオの1のステージを描くことができました。その紙の上のへたくそな絵のステージを何度も指でなぞって楽しんでいたら、弟も一緒に遊び始めて、二人でマリオの攻略本?を作り始めたんです。あとで聞いた話ですが、それを私たちが寝静まったころ、両親が真剣に読んでいて、二人がそんなに熱心になるものならやらせてあげよう・・・ということになったらしく、本物のファミコンが我が家にやってきました。それからずっとマリオ、ゼルダFANです。20年がたっても、毎回新鮮な驚きや楽しみ方を教えてくれるマリオは永遠の憧れと言っても過言ではありません。私には年の離れた従兄弟が居るのですが、彼ら彼女らが今、目を輝かせてマリオをやっているのを、あの頃の私と弟に重ね合わせながら、とても懐かしい、優しい気持ちになれ、でもまだまだ子供には負けへんで!と一緒になって楽しませてもらっています。マリオのステージを描いて遊んでいた頃の自由帳はもうないですが、ファミコンミニをやっていて、驚くほど隠し1UPキノコの場所や10個コインの場所を覚えていたことは、我ながら感心しました。そして、あのときの真剣な落書きが発端になった私の自由帳へのお絵かきも、ぼちぼちと発展し、今はちょっとした携帯待ち受け画像などのキャラクターデザインをさせてもらっています。これからも任天堂さんのゲームは子供の可能性を広げていくんだろうなぁと実感しています。20年もの月日を越えた任天堂世代はきっともっと大きな長い繋がりで、これからも繰り返されていくのでしょう。そしてまた新しい発見や夢を与え続けてください。ありがとうございます!
 
 


 
 
タイトル:麻雀
ペンネーム:zin さん
年令:28 才
性別:女性
小学生の頃の話。
私が寝る時間になると、お父さんが「麻雀」を始める。
スイッチを入れる音と最初にパイを配る時の効果音が
聞こえてくると何故か安心して寝てた記憶があります。

たまに寝ないで、ゲームしてるお父さんの傍にいくと
お茶持って来いとかパシリにされてたけど、その分
ちょっとだけ夜更かし出来るのが嬉しかったり。。

この企画(なつかしのあの一本)がなかったら忘れてた
記憶だったけど、思い出すと自分的に微笑ましい
思い出です(笑)
 
 


 
 
タイトル:忍者ハットリくん 忍者は修行でござるの巻
ペンネーム:二直線 さん
年令:28 才
性別:男性
ステージの最後にお父さんが鳥居から現れて、大量のチクワと鉄アレイをばらまきました。何の疑問もありませんでした。思い出として特別記憶に焼きついているわけでもありません。チクワ投げるのなんて普通。キノコ食べればでかくなるのは当然。画面の左端と右端はつながっていて、パックマンはドットを食べます。僕たちファミコン世代にはこんな不条理も柔軟に受け入れる、そんな柔らかい思考能力があるのです。
 
 


 
 
タイトル:影の伝説
ペンネーム:パンきちくん さん
年令:28 才
性別:男性
当時私は小学4年生か5年生でした。あまりゲームはしないほうでしたがクラスで好きな女の子が家に遊びに来たときに影の伝説をもってきてくれました。すごく面白くずっと二人で遊んでいましたが(多分その子がいたからかもしれませんが・・・スイマセン)女の子が帰るときに無理を言って借りました。そのかわりなんかかして?ということで自分は六三四の剣をかしてあげました。数日たったある日お互い返そう!という事になり自分は直接女の子の家まで返しにいったのですが本人は不在でお母さんに渡し、帰る間際お母さんが「じゃあ今度返しにいかせますね〜」と言って自分は帰りました。次の日学校で女の子が「昨日ポストに入れといたよ〜」と言っていたので帰宅後確認するもソフトはありませんでした。母親に聞いてみても「ないっ!」の一言・・・。女の子に電話で聞いてみても「絶対にポストに入れたの」の一点張り。その後小学生ながらドロドロした言い合いが続き・・・。絶交されたという悲劇の思い出がありました。そのときソフトの貸し借りは2度としないことを誓わせてくれたありがたいソフト!?です。でもこれって「影の伝説」じゃなくて「六三四の剣」でわ?
 
 


 
 
タイトル:スーパーマリオブラザーズ3
ペンネーム:きったん さん
年令:29 才
性別:男性
◎ のどかな夏の午後にそれは起こった ◎

89年、俺中学3年生の8月のとある日。
その日は良く晴れて気持ちが良かったので、俺は受験生のくせに塾の夏季集中特訓をサボって友達と公園まで遊びに来ていた。

駅の近くのその公園は、ちょっとした緑地帯だった。
夏休みとあって結構人出があり、ベンチには恋人達が、せせらぎには子供達が、池には釣り人達が見える。

俺と友達はゆっくり池の周りを歩きながら、友達の胸ポケットに入っている『スーパーマリオブラザーズ3』の攻略について熱心に話し合っていた。

キノコがどうだの、ワープがどうだのと到底受験生とは思えないような会話をしながら歩いていたのだが、『こりゃ腰据えてじっくり話し合わなあかんな』と思った俺は友達に提案した。

「そこ座ってしゃべれへん?」

そことは池のヘリのことである。
池は俺の胸の高さくらいの柵に囲まれていて、60センチくらいヘリが池へせり出している。
そこに座ってマリオ攻略話に燃えようと言う算段だ。俺たちゃ受験生のくせに。
よっしゃ、と友達が言って2人は柵を乗り越えようと柵の上に鉄棒の要領で身を乗り出した。
すると乗り出した勢いで友達の胸ポケットから スルっと『スーマリ3』が飛び出し、池のヘリでガシャっとワンバウンドしてポチャンと池に落ちた。

「マリオーーーー!!」

激パニックである。
マリオはゆらゆらと揺れながらその黄色い身体を池の底へと沈めて行った。
俺達は奇声を発しながら柵を乗り越え、池のヘリにひざまずいて池の底を覗きこんだが、そこにはただ淀んだ水があるだけだった・・・。

◎ マリオ救出大作戦 ◎

俺達はしばし呆然とマリオが沈んで行った水面を見つめていた。

何故こんなことに・・・・。
毎日酷使される生活がイヤになったのかい?
へへ・・・それでたいやきくんよろしく池に飛び込んで見たのかい・・・?

ショックの余り妄想の世界へと旅立とうとした俺だったが、なんとか気を取りなおすと立ち上がり、コブシを握って宣言した。

「絶対拾うで!!意地でも拾い上げるんや!!」

友達はおろおろと、ただうなずくだけである。
いかん、俺がしっかりしなければ!!
別の意味で俺は燃えてきた。
水にどっぷりと漬かってしまったROMカセットはもう死んでいるかもしれない。
だからと言ってこのまま放って行けるだろうか。
否!!
例え死体となっても連れて帰りたいのが親心ってもんじゃないか!!

俺は柵を越えて池の外に出ると、雑木林から長い木の枝を拾ってきて池の深さを測ってみた。
するとマリオが落ちた池の縁は思ったほど深くないことが判明した。
俺は5メートルほど離れたところで釣りをしている中年男性にタモを借りてきた。
このタモなら充分に底まで届くだろう。
やった、これならもう拾ったも同然!と俺達はタモで池の底をさらいだした。

しかし、しかしである。
マリオは姿を現さない。
タモにかかるのはゴミばかりである。
何故だ?!たしかにここに落ちて行くのを見たのに。
ここじゃないのか?
いや、ここのはずだ、ここのはずなんだ、それともあれは錯覚・・・?

池の底をさらいだして1時間経った。
相変わらず何も手応えはない。
夏の日差しが容赦なく照りつける中、俺達は汗だくで言葉すくなに交代でタモをふるい続けた。
もう意識朦朧で、あらゆる意味でもうダメかも・・・。
と言う雰囲気が満ち満ちていた。

「これであかんかったら諦めよう、ちくしょう・・・。」

そう俺は呟いてタモをぐっと引いた。

ああ、奇跡と言うものはこう言うことだろうか。
ドラマチックと言うか何と言うか、その光景はもはや神々しいとさえ言えるものだった。
俺が引き上げたタモの中には泥に混じってマリオの姿があったのだ。

「マリオーーーー!!」

ファミカセを手にしてこれほど嬉しかった事は今までにあっただろうか。
俺達はタモを借りた中年男性に丁寧にお礼を言うと、一目散に俺んちへとかけだした。

◎ 脳死判定 ◎

どかどかと帰ってきた俺達を見て、おかんは言った。

「何?あんたまた塾サボったな?!」

「マリオが池に落ちてん!!なんとか拾ったけど死んだかもしれん!!塾どころやないで!!」

「マジで?あんたら何やってんの?」

ファミコン本体のROM差込口にマリオを挿し込み、電源を入れる。
しかし画面は暗いまま。
もう一度挿し直し電源を入れるがやはり画面は真っ暗だ。
だめなのか・・・?

「人工呼吸や!!」

友達はそう叫ぶとカセットを抜き、端子部分に強く息を吹きかけた。

ふーっ!!ふーっ!!(真剣な眼差し)

ファミカセは接触が悪いとき、端子部分に強く息を吹きかける事によって喝を入れる事ができるのだ。
しかし今回のように水に漬かってしまった物にもこの手段は有効なのだろうか?
かといって他に手があるわけでもない。
俺は黙ってその様子を見守った。

もしこれで起動しなければマリオは死んだと納得するしかない状況である。
俺達は緊張しながら電源を入れた。

「マリオーーーー!!」

本日3度目のマリオ絶叫である。
そう、画面にはいつものスタート画面があったのだ。
俺達は手を取り合ってマリオ蘇生を喜びあったのだった。

その後も何の問題もなく動作しつづけた『スーマリ3』。
なんて丈夫なやつだろう。
それからも、水責めの他にもタバコの火を押し当てられたり、着衣を剥ぎ取られ基盤だけになったファミカセも俺は見る事になるが、ファミカセ達はそのことごとくを生き延びるのである。
(本体に基盤だけ挿さってる様子は不気味。)

ファミカセよ。
取り扱いが簡単かつ丈夫で長持ち。
お前こそオモチャの鑑だ!!
と俺は思うのである。
 
 


 
 
タイトル:ソンソン
ペンネーム:アムラス さん
年令:29 才
性別:男性
当時、小学生だった私は、友達の友達という自分からはちょっと離れた関係の子から、「ソンソン」のソフトを借りる機会がありました。その子とは、それがきっかけで親しくなったのですが、
借りてから数日経ったある日、その子と少し険悪なムードになり、私は腹いせに借りていた「ソンソン」のソフトを又貸ししてしまいました。
 それからまた数日経った夕刻、ゲームをしながら夕飯を待っていると、その子が家にやってきました。玄関に行くとその子は、
泣きながら佇んでいました。すると、開口一番「ソンソン返して!」と叫びました。ですが、「ソンソン」はまだ返ってきておらず、バツが悪くなり、やむを得ず又貸しした事を告げると、目に見えて顔が青ざめていくのがわかりました。
 とにかく、すぐ返して欲しいの一点張りに根負けした私は、日が沈みきった中、「ソンソン」を貸した相手の家に向かいました。しかし、そこで待っていたのは、予想外の一言でした。
 「ああ、あれなら貸しちゃった。」
流石にその一言には私も青ざめたのですが、一緒に来たその子は
もう呆然としてしまっていました。更に、追い討ちをかけるように痛烈な一言が待っていました。
 「誰に貸したか忘れちゃった。」
もうどうしようもなくなり、とにかく心当たりを闇雲に探すことになったのですが、結局見つかることはありませんでした。
 探し疲れた私は、
 「今日は帰ろう。」
そう言ってみると、その子は、
 「一緒に来て。」
うなだれながらそう言いました。罪の意識もあり、とりあえず言われるがままについて行きました。
 目的の場所は、見知らぬ人の家で、その家の前には、自分より年下の小学生と、そのお母さんが立っていました。
 その子は、着くなりその目の前の二人に
 「ごめんなさい。ごめんなさい。」
ただただ、謝っていました。事態が把握できないまま私も、謝りました。
 そして、その子と目の前の二人がやり取りしているのを見ていて、ようやく全てがわかりました。
 もともと「ソンソン」は、目の前にいる子の物で、私が借りた時点で、既に又貸しの状態だったのです。しかも、貸した理由が
その子と、目の前の子が喧嘩をして、その腹いせに又貸ししたと言うのです。結局、「ソンソン」は二人で弁償する事で話がつきました。
 私も、その子も、一時の身勝手な感情で軽率な行動をしてしまい、結果自分達が損を被るかたちになりました。二人合わせて、
まさに「損々(そんそん)」という訳です。
 
 
 


 
 
タイトル:パックマン
ペンネーム:T.W さん
年令:29 才
性別:男性
それは1985年のことでした。
2年分のお年玉を貯めてファミコン本体を購入、
一緒に入手したゲームがファミコンミニにもなっている
「ゼビウス」と「パックマン」でした。
特に「パックマン」は両親にも好評で、
「ファミリーコンピュータ」の名のとおり、
家族みんなではまっておりました。

そんな折、私が熱を出して寝込んだことがありました。
母が私を看病してくれました。
「すぐに薬をもってくるからね。」
そういって部屋を出て行ってから数十分、
待てど暮らせど母は来ません。
当時小学生だった私は、
子供心に「何かあったんじゃないか」と思い、
母がいるであろう「テレビのある部屋」に向かいました。

ところが、部屋が近づくにつれ、
何だか耳慣れた音が聞こえてきました。
「ばくっ・・・ばくばくばく」
「ばくばくばくばくばくばく」(速いテンポ)
「ばくぅっ!!」
「きゅんきゅんきゅんきゅん・・・ばくばくばく」

・・・パックマン?
なぜ?今家にいるのは自分と母だけのはず・・・?
などと考えているうちに、
「カンカンカンカンカンカンカンカン」
とエクステンドを知らせるチャイムが聞こえました。

私はおもむろに部屋へ続く引き戸を開けました。
そこには、案の定パックマンにはまってる母の姿がありました。

母「どうしたとね?熱のあっとやけんねときなさい」
(訳:どうしたの?熱があるんだから寝てなさい)
などと言いながらもコントローラは手放しません。
しっかりポーズかけてます。

私「・・・おいの薬は?」
(訳:・・・僕の薬は?)

母「・・・あ。忘れとった」
(訳:・・・あ。忘れてた)

以後、このお話は「パックマン事件」として
我が家において事あるごとに話題にのぼるようになりました。
話題にしてるのは主に私ですが(^^)。

母にこの話をすると
「いいかげん忘れろ」と言われます。
しかし、当時受けたショックはかなりのもので、
多分一生忘れないでしょう(^^)。

あれから月日は流れ、「パックマン」もいろんな展開をみせました。
しかし、私の中では上記の事件(^^)の件もあり、
ファミコン版が一番印象に残っています。

最近は、「後世に残したいゲーム」が少ないような気がします。
ゲーム機を作っている「ゲーム屋」も、
今や任天堂のみになりました。
今のゲーム業界から、今回のような企画になるような
ゲームがでるのでしょうか?

「あのゲームが復刻!」
将来、そんな風に話題になるゲームが、
今のゲーム業界から出るのでしょうか?
過去を振り返るなと言われるかもしれません。
でも、ゲームのなんたるかを再認識しないと、
この業界は今にスカスカになるんじゃないでしょうか?

最近のゲームを見て、そんな風に思いました。
・・・って、もう思い出話じゃないですね(^^)。
以上、もうすぐゲーマー成人式な私の思い出でした。
 
 


 
 
タイトル:カラテカ
ペンネーム:うみ さん
年令:29 才
性別:男性
敵を倒すと、なんか、くたっと倒れるのです。

ピンクのそれを倒したときの様子はまるで
「たらこ」のように見えるのは僕だけなのだろうか?
 
 


 
 
タイトル:ファミリーマージャン
ペンネーム:ストラタ・ストライク さん
年令:30 才
性別:男性
「ファミリー」と「マージャン」。対極にあるこの2つの単語を含むこのソフト(ナムコはファミスタのヒットでなんにでも「ファミリー」を冠していた。ファミリーサーキットとか)。しかし我が家では家族みんなで本物の麻雀をして遊んでいたりしたから
決して相反するものではなかった。任天堂の「麻雀」を持ってるにも関わらず、家族の意見が一致し「ファミリーマージャン」も購入。この手のゲームはクリアというものがなく、暇があればみんなそれぞれ遊んでいた。
時は流れ、スーファミ、64、ゲームキューブと新ハードが出ていき、自分も含めファミコンの電源を入れる機会はなくなっていく。3人兄弟、実家から巣立っていき結婚。
21世紀の今も、たまに実家に帰ると、TV台の中には「ファミリーマージャン」専用機と化したファミコンがある。(一応「ゴルフ」もある)
もう70歳近い父だけは、いまだ「ファミリーマージャン」でずっと遊んでいるのだ。「スーファミとか64をあげようか?」と問いかけても、「これでエエワ」の答え。
最近よく問われる「ゲームの本質」みたいなものを一番理解しているのはウチの父かもしれないと思っている。
 
 


 
 
タイトル:ドラゴンクエスト
ペンネーム:まる さん
年令:30 才
性別:男性
ドラクエが発売された年、私は中1だった。当時は取説も読まずにすぐゲームを始める性格で、ゲームをしながらルールを覚えた。しかし、13歳にもなって東西南北がしっかりとわかっていない私は、城の中で人々との会話をするのに時間が掛かった。よく画面を見ればわかったのに・・・。それがきっかけで東西南北を覚えた。
今現在、私には子供が2人いる。私の親は勉強をしなくなるためTVゲームは嫌いだったが、時として勉強をするきっかけともなる事を自分自身で体験している。だから子供にTVゲーム禁止令は発令しない。
本当にドラクエは頭を使わせてもらったゲームとして良い思いでです。
ちなみに私は地図上の東西南北はわかるが、実際は現在でも方向音痴です。
 
 




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