社長が訊く
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社長が訊く『いつの間に交換日記』

社長が訊く『いつの間に交換日記』

目次

3. デザインで試行錯誤

岩田

サーバーにアクセスして
日記が届いていないときのガッカリ感は、
3DSの「いつの間に通信」の機能を使えば
解消できるんじゃないか、ということですよね。

今井

そうです。その機能を使えば、
友だちや家族が送ってくれた日記が
自動的に自分の手元に届くようになりますから、
「これはいい」と思いました。
そこで、3DSでつくり直すと
どんなメリットがあるのかという
プレゼン資料を一生懸命つくって、
意気込んで岩田さんのところに持っていったら・・・

岩田

わたしが開口一番、
「3DSでつくり直しませんか?」と言ったんですよね。

今井

はい(笑)。
「ちょ、ちょっと待ってください。
 用意している資料がありますので」と説明はしましたけれど(笑)。

岩田

でも、いくら3DSでつくり直したほうがいい、
とは言っても、電遊社さんからすると
長いことDSiでつくってきて、
それをまた、いちからつくり直すというのは
やっぱりつらかったですよね。

竹之内

えー、そうですね、はい(苦笑)。

岩田

今井さんから
「3DSにしましょう」と言われたとき、
どのような感想を持たれましたか?

竹之内

じつは3DSに関して具体的なお話をいただいたのは、
それからずいぶんあとのことだったんです。
DSi版がほぼ完成していて、
あとはデバッグだけ、という状態で
2009年の年末を迎えたんですけど、
そのとき今井さんから言われたのが
「年末はちょっとゆっくりしませんか?」と・・・。

今井

(笑)

岩田

本来ならデバッグをしないといけないのに、
「ゆっくりしませんか?」なんですね(笑)。

竹之内

はい。なので「あれあれ? 何が起こったの?」
と思いながら、年を越しまして・・・。

岩田

不安な正月を過ごされたわけですね。

竹之内

「ゆっくりしてください」と言われても、
まったくゆっくりした気持ちになれませんでした。

一同

(笑)

竹之内

で、1月末くらいになってからようやく、
「新しいプラットホームでまたつくりませんか?」
というお話をいただいたんです。

岩田

その時点では
まだ3DSの名前は伏せられていたんですよね。

竹之内

そうです。で、そのときに
新ハードの特性を聞いたんですけど、
先ほどの「いつの間に通信」ができるほかにも、
あらゆる部分で高性能になっていましたので、
「DSiではできなかったことが、これでできる!」と、
モチベーションがすごくアップしました。
そこでつくり直しはじめたんですけど、
あれは2010年の4月だったでしょうか、ある日突然、
「お見せしたいものがあります」と言われて
初めて3DSの実機を見せられたんですけど、
一瞬、「あれ?」と・・・。
だって、絵が飛び出ていたんです(笑)。

岩田

はい(笑)。

竹之内

そのときまで、立体視になるなんて
まったく知らされてなかったですから、
あれはものすごく衝撃的でした。
「とんでもないハードでソフトをつくっているんだ」
という気持ちになりまして、その驚きと同時に
「こうするともっと面白くなるんじゃないか」と、
新しいアイデアも次々と出てくるようになりました。

岩田

近藤さん、デザインという観点では、
DSi版と3DS版ではどういう変化があったんですか?

近藤

やはり“飛び出す”というのが
いちばん大きい部分でした。
DSi版のときは、自分で書いたものを
再生して楽しむだけだったんですけど、
3DS版は「びんせん」を3Dにしたり、
飛び出す日記を自分でも書けるようになりましたので、
その変化がいちばん大きかったと思います。

岩田

3Dのペンをつくってみると、
やっぱり手ごたえがありましたか?

近藤

そうですね。
でも、3Dで書くということに関しては
かなり試行錯誤がありました。
最初のうちは、たとえば文字を書いていくと、
だんだん手前に飛び出すペンも実験してみたんです。
ただ、実際に使ってみると、
操作が複雑になりすぎて
思いどおりのものが描けなかったんです。

岩田

やっぱり試行錯誤がたくさんあったんですね。

近藤

そうです。そこで、やっぱり日記は
誰でも書けるものにしたいという方針がありましたから、
最終的にはふつうに書ける面と、
3Dのペンを使って書ける面の
2面で書けるようにしました。

岩田

本来ならもっと複雑なことができるけど、
あえてシンプルなものにしよう、
ということですね。

近藤

そうです。

岩田

ちなみに、いま話に出た「びんせん」は
どのようにして生まれたんですか?

今井

DSiのときまでさかのぼるんですが、
「絵日記です。自由に書いてください」
といきなり真っ白な「びんせん」を渡されても、
「何を書いたらいいの?」と
悩んでしまう人が多かったんです。

岩田

絵心のある人はいいんですけどね。

今井

そうなんです。
日記が続かなかった理由も
たぶんそこにあるに違いないと思って、
書きたい気持ちをくすぐるような
「びんせん」を用意することにしました。
ただ、デザイン面ではいろいろ試行錯誤がありました。

岩田

そもそも立体視のできる「びんせん」なんて、
世の中にはありませんからね。

近藤

はい。そもそも
どのようなデザインの「びんせん」にすれば
お客さんに喜んでいただけるのか、
というところで、けっこう試行錯誤をしました。
季節性のものや、話題づくりに使えそうなもの、
動きがあって書いたものを引き立ててくれるものを考えました。

今井

そうそう、それに
「びんせん」といえば女性のこだわりが強い分野ですから、
少女マンガや若い女性が読むような雑誌を
たくさん買い込んできて・・・。

岩田

はいはい(笑)。

今井

そういうものをみんなで読んで研究して、
去年の夏か秋くらいにほとんどできていたんです。
たしか40種類くらい・・・かな?

近藤

いえ、50種類くらいつくりました。

今井

で、それを1枚1枚ながめて、
「おお、どれもいいできだなあ」と。

近藤

そう、自画自賛していました(笑)。
みんなで「すごくいいものができた!」
と言い合ったりして。

岩田

はい(笑)。

今井

ところが、ひとりだけ
僕らとはまったく逆の人がいたんです。

岩田

はい、そこで北井さん登場、なんですね。

今井

そうです(笑)。

岩田

北井さんが「びんせん」の
デザインにかかわることになったのは、
どんな経緯があったんですか?

北井

わたしはもともと、デザイナーとして
このプロジェクトとは別の仕事をしていました。
去年(2011年)の夏か秋頃に、
「デザインの監修をしてください」という依頼が
わたしたちのデザインチームに回ってきました。

岩田

最初はデザインをチェックする仕事だったんですね。

北井

はい。それで、ほかの女性デザイナーといっしょに
「びんせん」のデザインを見ました。
面白くて楽しいものだったんですけど、
かわいいデザインではなかったので、
みんなと申し合わせて、
かなりシビアなコメントを書くことにしたんです。
ところが・・・。

岩田

ところが?

北井

・・・正直に書いたのはわたしだけだったんです(笑)。

岩田

あははは(笑)。
で、どんなことを書いたんですか?

北井

「ちょっと90年代っぽいです」とか・・・。

岩田

それは衝撃ですね(笑)。

今井

いや、もっとストレートに言われた記憶があるんですけど。

近藤

ですよね。90年代ってそれほどシビアじゃないというか・・・、
正直に言ってください(笑)。

北井

いや・・・あの・・・言うんですか?

岩田

どうぞお願いします(笑)。

北井

・・・・・・。