5. 記憶力は生きていくうえでのロマン

鈴木

わたくしは英語の辞書を引くときでも、
英和辞典の両方のページを、
習ってない単語まで読むわけです。
そういうことを長年続けてきましたから、
辞書を引くさいに、パッとめくると、
だいたい自分の引きたいものが出てくるんです。
いかにして、求める資料に速く到着するかということが、
わたくしたちの仕事ではとくに大事なんですね。

岩田

コンピュータやインターネットがない時代から、
「知」に速くたどりつくためのワザを、
“職人”としてマスターされていたんですね。

鈴木

要するに「調べる」ことは大事なんです。

岩田

しかも、自分で調べているから強いですよね。

鈴木

はい。

岩田

人が調べてきたものを見るんじゃなくって。

鈴木

ですから、「人からもらった資料は、
事実の半分しか物語っていない。
あとの半分は、自分で調べる」ということを
自分のテーマにしてきました。

岩田

なるほど。

鈴木

それにメモもとりません。
メモはいっさい持っていないんです。
だから資料は何にも残っていないんですね。

岩田

その「メモをとらない」ということも含めて、
伝説ができていますよね。
しかも、その方法を続けられることで、
あらゆる記憶と興味が立体的になると思うんですね。

鈴木

そうです。

岩田

それは、一方向の知識だけではなくて、
最初に読んだときはさっぱりわからなかったことも、
別のときに、「あれは、ああいうことだったのか」ということが
どんどんわかっていって、しかもつながっていって、
ネットワーク化された立体的な知識になっていくんですね。

鈴木

そういうことです。

岩田

それが鈴木さんの強みなんですね。

鈴木

わたくしは、そもそも記憶力というのは、
生きていくうえでの
ひとつの“ロマン”だと思ってるんです。
単に、ものを覚えたりだとか
その場限りの技術だとかではなく、
どうやって生きていくかという
“ロマン”だと思ってるんです。
ですから、人とおつきあいしましても、
相手の方のいいところばっかり見るんですね。
悪いところは捨ててしまおうという。
そうやって、これはいいと思うことは
自分のなかに入れるようにしているんです。

岩田

はい。

鈴木

それが自分を束縛するときもあります。
ですからわたくし、NHKにいる間、実際のところ、
今日辞めようか、明日辞めようかと思っていたんです。
向いてないんです、自分に。

岩田

向いてないんですか?

鈴木

(笑)

岩田

「向いてない」と言われると、
世の中の大多数の方が絶句されると思うんですけど(笑)。
「天職ではないんですか?」と、
みなさんいま、一斉に思ってますよ。

鈴木

いえいえ。
わたくしね、いまだから言いますけども、
生来の虚弱児でございましてね。

岩田

鈴木さんが虚弱児・・・?

鈴木

はい。
自分では何もできない子どもで、
小学5年生まで、自分で服を着られなかったんですよ。

岩田

それくらいお体が弱かったんですか。

鈴木

いまでも左の耳の後ろに
大きなキズが残っているんですが、
小学1年生のときに、ひどい中耳炎の手術をしましてね。
「この坊やは手術が成功しても、小学校を出たときに、
電報が読める程度までしか回復しないかもしれない」と言われたことを
いまでもよく覚えてるんですよ。

岩田

はい。

鈴木

それくらいひどい手術をしたんです。
それがあったので、運動はぜんぜんできませんでした。
だから、小学校でいちばん嫌いだったのは運動会でした。
前の晩はもう雨乞いをしていました。

岩田

・・・。

鈴木

で、6年間、かけっこして全部ビリです。
そのビリもですね、ふつうのビリじゃないんですよ。
わたくしには兄がひとりいるんですが・・・。

岩田

映画監督の鈴木清順さん(※5)ですね。

鈴木

はい、その兄は、
東京の学童陸上十傑、水上十傑に入るくらいで。

岩田

スポーツ万能でいらしたんですね。

※5

鈴木清順さん=監督として、数々の映画賞を受賞した「ツィゴイネルワイゼン」(1980年)のほか、劇場アニメ「ルパン三世 バビロンの黄金伝説」(1985年)など、多くの映画を手がけた。

鈴木

だから、運動会で兄が走ると、「がんばれー!」と、
みんな立ち上がって声援をおくっていたことを、
わたくしはまだ覚えているんですね。
で、今度は弟です。よーい、ドンで走るでしょう。
それで、みんな立ち上がるのは兄といっしょなんですよ。
「がんばれー!」というのも同じなんです。
だけど、そのあとにひとことつくんです。
「歩いてたらダメよー!」と。
わたくしは一生懸命、肩で風切って走っているつもりなんです。
でも、見てる人からすると、
歩いてるようにしか見えなかったんですね。
そのくらいダメだったんです。

で、小学校を出るときに、謝恩会で、
先生が生徒ひとりひとりに思い出を語られたんですね。
それがもう、爆笑の連続で。
それでわたくしの順番がきたとき、先生が少し考えて、
「お前についてはぜんぜん思い出がないな」と言われたんです。

岩田

・・・。

鈴木

いい学校か、悪い学校かというのはですね、
偏差値が高いとか、進学率がいいとか、
そんなものじゃないんです。
その子にとって、いちばん良い思い出をつくれた学校が、
いい学校なんです。
以前、松下幸之助さん(※6)にお会いして、
「どうして後継者をつくらないんですか?」と訊いたとき、
「どういう社員を見ていったらいいでしょうかね」と
訊き返されたことがあるんです。
そこで、わたくしが言ったのは
「忘年会とかレクリエーションで、みんなに推されて幹事になる人。
そんな人を見ていたらいいですよ」と。

岩田

はい。

※6

松下幸之助さん=丁稚から身を起こし、「経営の神様」とも呼ばれた、松下電器産業株式会社(現パナソニック)の創業者。1989年没。

鈴木

「必ずしもエリート社員じゃないんですよ。
だけど人望があります。
会社にとってはひじょうに重要な要素です、人望は。
そういう社員を見ていたらいいんですよ」
と話したことがありましたけどね。
たとえば学校を卒業したあとに
クラス会とか同窓会の幹事をやる人がいますね。
あの人たち、必ずしも学校で
成績が優秀だったとは限らないんですよ。
だけど、彼や彼女は、
その学校に楽しい思い出を持っているんですよね。
だから「あの学校のために」という気持ちになるんですね。
ところがわたくしは「思い出がない」なんて言われて・・・。
その先生は6年間担任してくださったんですよ。

岩田

それはたぶん、きつく怒られるよりも
とてもしんどいことですよね。

鈴木

ですから、わたくし、
その日はショックで寝られなかったんです。
それで、それは自分の体が弱いせいなんだと思ったんです。

岩田

お体が弱かった鈴木さんが、
人一倍大きな声量で、
人を元気にする仕事ができるようなった
きっかけは何だったのですか?

鈴木

これではダメだと思いまして、
旧制中学に進んでから水泳部に入ったんです。
そのとき生まれて初めてプールのなかに入りました。
それまでは先生も親も、水にも入れてくれなかったんです。

岩田

お体が弱いからですね。

鈴木

はい、それで中学1年で初めてプールに入って、
横になったら・・・浮いたんですよ。
それで手足を動かすと、前に進んだんです。
「ああ、自分にも運動神経がある!」と。
その感動はいまでも忘れません。
ですから、わたくしの言葉のひとつに
「感動なしには、人生はありえない」というのが、
ひとつのテーマなのです。