2. プロデューサーと議論してわかったこと

岩田

2010年の今年は
初代→『スーパーマリオブラザーズ』(※6)の発売から
ちょうど25年なんですけど、
実は『スーパーマリオ64』の発売から、
すでに14年も経っているんですよね。

宮本

ああ、もうそんなに経つんですよね。
実は3Dマリオというと、『マリオ64』から数えて
今回で4作目になりますけど、
今までつくってきたなかで、いろいろ見つかった課題もありました。

岩田

たとえば、それはどんな課題だったんですか?

宮本

ひとつは、マリオゲームの作り方に対しての考え方・・・
たとえば→『マリオサンシャイン』(※7)
水中ポンプを使ったアクションゲームなんですが・・・。

岩田

水中ポンプを使って、空高く跳んだりとかしましたよね。

※6

『スーパーマリオブラザーズ』=1985年9月に、ファミコンで発売された横スクロールアクションゲーム。

※7

『マリオサンシャイン』=『スーパーマリオサンシャイン』。2002年7月に発売されたゲームキューブ用3Dアクションゲーム。

宮本

そうです。水を使う遊びなので、
南の島を舞台にして、それもリゾートがいいでしょうと。
南の島だから飛行機で飛んで行くんですね。
でも飛行機で飛んで行くのなら、
「ピーチひとりじゃおかしいよね」という話になって、
お供にキノピオがいて、
執事もいたほうがいいということでキノじいも出てくると。
ピーチはパラソルをさして、横に執事が立っている。
でもそれだけだと、せっかくリゾートに来たのに寂しいわけです。

岩田

南の島にはやっぱり住民が必要になりますね。

宮本

そうなんです。
住民はいるし、他の観光客もいるよねと。
そこはだいぶ議論したんですけど、
他にも観光客がいたらちょっと興ざめなので、
せめて南の島の住民はいるようにしてということで、
まず→モンテ族をつくりました。
で、さあこのモンテ族といっしょに
水中ポンプを使って遊びましょうというので、
そこで初めて敵のデザインがはじまるわけです。

岩田

ある程度、舞台装置が整ってから
敵をつくることになったんですね。

宮本

はい。でも、それって、僕らがそれまでにやってきた
ものづくりのアプローチとはまったく違うものだったんです。
ともかく、マリオは敵にぶつかったらダメという遊びです。
けど、ぶつかったらダメだけではゲームにならないので、
「どうやって敵をやっつけるの?」と。
そこで→『マリオブラザーズ』(※8)では、
「床の下から叩いたらどうかな?」と考えたんです。

※8

『マリオブラザーズ』=アーケード版・ファミコン版、ともに1983年に発売されたアクションゲーム。

岩田

そこでカメが出てくるんでしたよね。

宮本

ええ、ひっくり返るといえばカメですから(笑)。
今まで僕らはそうやってゲームをつくってきたわけですけど、
リゾートに飛行機で飛んで行って、
そこにモンテ族が住んでいて、
そこから敵を考えるのとはぜんぜん違うアプローチなんですよ。
 
前作の『マリオギャラクシー』をつくるときに、
僕が課題に感じたのは
「マリオのゲームに出てくるキャラクターの良し悪しを、
どうやって決めてるんだろう?」
ということでした。
 
というのも、新入社員にキャラクターを描いてもらったときに、
「これじゃあダメ」と言うと
「どうしてダメなのかわかりません」
といった話が何度もあったからなんですね。
そこで、なぜダメなのかを説明する必要に迫られて
「『マリオ』に出てくるキャラクターは、
ひと目見ただけで機能がわかることがとても大事だ」という、
一度言葉にしてみれば簡単なことですが、
今まで言葉になっていなかったことを
初めて言葉にできたんです。
 
そうやって、デザイン的な問題を解決しながら
前作の『マリオギャラクシー』をつくったんですが、
もうひとつ抱えていた課題があって、
それはストーリーなんです。
「『マリオ』というゲームにストーリーは必要なのか」
ということをずっと考えていて。

岩田

『マリオサンシャイン』以降、
ストーリーの是非がとくにホットなテーマになっていましたよね。

宮本

はい。『マリオサンシャイン』と
前作の『マリオギャラクシー』のディレクターは
小泉(※8)さんが担当していて、
今回の『マリオギャラクシー 2』では
プロデューサーとして見守る立場なんですが、
彼とはずっと良いコンビでやってきたんですね。

岩田

宮本さんと小泉さんのコンビは『マリオ64』以来ですから、
かれこれ14年来のつきあいになるんですよね。

宮本

ええ。で、彼はもともと
→『夢をみる島』(※9)のシナリオを書いたこともあって、
ストーリーをつくるのが得意なんです。

岩田

→社長が訊く『ゼルダの伝説 大地の汽笛』
手塚さん(※10)が言っていましたけど、
小泉さんはとてもロマンチストなんですよね(笑)。

※8

小泉歓晃=3Dマリオのゲーム開発のほか、『ドンキーコングジャングルビート』や『うごくメモ帳』などにも関わる。東京制作部所属。

※9

『夢をみる島』=『ゼルダの伝説 夢をみる島』。『ゼルダ』シリーズとしては初のゲームボーイ用ソフト。1993年6月発売。また、1998年12月には、ゲームボーイカラー用ソフトとして、リメイク版の『ゼルダの伝説 夢をみる島DX』が発売された。

※10

手塚卓志=『スーパーマリオ』シリーズや『ヨッシー』シリーズ、『どうぶつの森』シリーズなど、数多くのゲーム開発に携わる。任天堂情報開発本部 制作部部長。

宮本

ええ、そうなんです。
それに彼は、アニメーションも得意にしていますので、
そういった長所を活かしつつ、でもやりすぎないようにと
僕は見守る立場で見てきたのですが、
『マリオサンシャイン』以降の新しい動きに対して、
ちょっと違和感を感じるようになってきたんです。
もちろんそのことは、いつも小泉さんと話をしていたのですが、
核心に触れる部分になると、踏み込んで議論することを
どこかでお互い避けてきたところがあったんですね。

岩田

こんなに近い師弟関係なのに、
何年間も、白黒ハッキリさせずにきたんですか。

宮本

ええ。で、前作をつくるときも、
「『マリオ』にはストーリー、いらへんよね」とか
「ムービーはなくてもいいよ」とか言いながらも、
気がついたら『マリオギャラクシー』には
けっこうムービーやストーリーも入っていて。
ムービー関連は、ものづくりでいうと
開発の終盤に組み込まれるんですね。

岩田

そこで、それまでバラバラだった
ゲームの間がつながるようになるんですよね。

宮本

で、開発の終盤になると
「あれ? どんどん『ゼルダ』みたいになっていく」って(笑)。

岩田

「ストーリー、いらへんよね」と言ってたはずなのに(笑)。

宮本

そうなんです。
前作のときに、そういう経験をしたものですから、
今回の『マリオギャラクシー 2』をつくるにあたっては、
「そういう要素があったら、どんどんそぎ落とすよ」
という話を事前にしていたのですが、
つくっているうちに、そぎ落とせていない感じになってきたんです。

岩田

事前に「そぎ落とすよ」と言っても、
やっぱりそうならない。

宮本

そうはならないんです。
それと手塚さんや中郷さん(※11)に、
途中で仕上がったバージョンのものを見せると、
彼らは口をそろえて「なんか違う」と言うんです。

岩田

ずっと『マリオ』をつくってきた2人(※12)
「なんか違う」と言うのでは、
「このままではマズイ」と宮本さんは感じたんですね。

※11

中郷俊彦さん=ファミコンの時代から現在まで、『マリオ』シリーズや『ゼルダ』シリーズなど、任天堂ソフトの開発を支える。株式会社SRD代表取締役社長。

※12

ずっと『マリオ』をつくってきた2人=手塚卓志と中郷俊彦さんが『マリオ』を語る→社長が訊くインタビューはこちら。

宮本

はい。僕はもともとアクションの部分は見ていたんです。
コースのデザインなども確認してすすめてきたんですけど、
演出の部分に関しては、わりと預けてあったんですね。

岩田

なるほど。

宮本

そこで、演出の部分がそのままだとマズイと思って
ある土曜日の午後に、会社の外で小泉さんと会って
じっくり話をしたんです。

岩田

ああ、その話、わたしはその週明けの昼ご飯のときに聞きました。
4、5時間たっぷり話をして、「いろんなことがわかった」と
長年のもやもやが取れてスッキリした顔で話してくれましたよね(笑)。

宮本

はい(笑)。そこまで小泉さんとじっくり話したのは
本当に久しぶりのことだったんです。
たとえて言うと、結婚したあと、馴れ合いの中で
長年本音で語ったことがなかった夫婦が、
子どもが独立したので久しぶりにじっくり話したみたいな(笑)、
そんな感じでしたね。

岩田

あははは(笑)。

宮本

でもそのとき、小泉さんが考えている
ストーリーの重要性とか、
ゲームのなかにおけるストーリーの役割とか、
そもそも『マリオ』というゲームは何なのかとか、
そういった根源的なことを踏み込んで議論して、
その結果、とても大事なことがわかったんです。

岩田

それはどんなことですか?

宮本

ストーリーにしろ、ムービーにしろ、
それがいる、いらないということではなく、
いちばん大事なのは“共感”だということに気づいたんです。