1. 放課後のクラブ活動のように

スタッフ

前の会議が長引いていて、
岩田さんはちょっと遅れるそうです。

手塚

はい。

中郷

でも、今日は何を訊かれるんでしょうか。

青沼

僕もぜんぜん聞いてないんですよ。

スタッフ

わたしたちも詳しくは知らされてないんですが、
携帯機『ゼルダ』の歴史がテーマになるんじゃないでしょうか。

手塚

え、今日は青沼さんが主役じゃないの?

青沼

僕は前回、たっぷりお話しましたし。

手塚

でも、昔の話、覚えてるかなあ・・・。

中郷

携帯機で最初に出たのは
(※1)でしたよね。

手塚

うん。

※1

『夢をみる島』=『ゼルダの伝説 夢をみる島』。『ゼルダ』シリーズとしては初のゲームボーイ用ソフト。1993年6月発売。また、1998年12月には、ゲームボーイカラー用ソフトとして、リメイク版の『ゼルダの伝説 夢をみる島DX』が発売された。

青沼

そういえば僕の持っている『夢をみる島』の攻略本に
開発者のコメントが載っていて、
そのとき手塚さん、何を言ったか覚えてますか?

手塚

いや、覚えてないわ。

青沼

ですよね(笑)。
手塚さんは『夢をみる島』の登場人物をつくるとき、
「『ツイン・ピークス』(※2)みたいな世界にしたかった」
と言ってるんですよ。

手塚

あー、そうそう。そんなこと言ってた。

中郷

そんなこと言ったんだ。

手塚

言ってた。
そのとき言っててよかったなあ。
あとから忘れること多いし。

一同

(笑)

※2

『ツイン・ピークス』=アメリカで、1990年から翌年にかけて放送されたテレビドラマシリーズ。日本では、1991年に放送。

青沼

僕はそれをよく覚えてるんですけど、
実は言ってる意味がよくわからなかったんです。
だから、今日、聞きたいなあと思ってて。

手塚

そうなんだ。

青沼

「『ツイン・ピークス』みたいに」と言いながら、
マリオやルイージに似た人とかが出てましたよね。

手塚

うん。あと、カービィとかも。

青沼

・・・それって、HAL研究所さんに
ちゃんとことわりを入れたんですか?

手塚

どうだったかな・・・。

青沼

えっ、覚えてないんですか?

手塚

よく覚えてないなあ。
ちゃんとことわったと思うけどなあ・・・。

青沼

ほんとに大丈夫なんですか・・・。

手塚

うーん、どうだったか・・・。

(会議室のドアが開いて)

岩田

すみません、お待たせしました。

一同

よろしくお願いいたします。

青沼

岩田さん、もうはじまってました(笑)。

岩田

どういう話をしてたんですか?

中郷

『ゼルダ』の思い出話をしてました。
断片的ですけど。

手塚

今日は青沼さんが主役だと思ってまして。

青沼

そうやって、逃げようとしてますね。

手塚

ふふふ(笑)。

岩田

はい、さて今日は、まさかの連続登場ということで、
手塚さんと中郷さんにも来てもらっています。
→社長が訊く『New スーパーマリオブラザーズ Wii』のときに
昔話を訊いて、それがやたらおもしろくて・・・。
おもしろがってるのが、わたしだけでなければいいんですが(笑)。
『スーパーマリオ』(※3)に出てくるファイアバーは
実は開発初期の『ゼルダ』(※4)で使われていた仕掛けだったという話も訊けて、
「これは『ゼルダ』の話も訊かないと損だ」と思ったんです。
それに2009年の12月は
が出て、 が出てという、
同じ月に両方が出るのはこれまでなかったことですし、
“マリオ&ゼルダ祭り”でいきたいと思いまして、
前例のないパターンですが
今日はよろしくお願いいたします。

一同

よろしくお願いいたします。

※3

『スーパーマリオ』=『スーパーマリオブラザーズ』。1985年9月に、ファミコン用ソフトとして発売されたアクションゲーム。

※4

『ゼルダ』=『ゼルダの伝説』。1986年2月に、ファミコンのディスクシステムと同時発売された、アクションアドベンチャーゲーム。

岩田

そもそも初代の『ゼルダ』は、
宮本(茂)さんを中心とした手塚さん、中郷さんとの
“黄金のトライアングル”はたまた“関西の漫才トリオ”で
初代『スーパーマリオ』と並行して
つくられてきたということですが、
携帯ゲーム機で最初に出た『夢をみる島』のときは
宮本さんの関与は少し浅かったんですよね。

手塚

そうです。

岩田

このソフトは手塚さんが中心になってつくられたと。
そもそも、どうやってはじまったんですか?
ゲームボーイ版の『ゼルダ』は。

手塚

その前に、スーパーファミコンで
(※5)を制作していたのですが、
そのとき僕は途中から入ったんです。

岩田

あのソフトも難産だったんですよね。

手塚

はい。実はいまだから言えますけど、難産でした。
で、途中からわたしがディレクターをすることになりました。
このときは、SRDさん(※6)の森田(和明)さん(※7)
がんばってくださいました。

※5

『神々のトライフォース』=『ゼルダの伝説 神々のトライフォース』。1991年11月にスーパーファミコン用ソフトとして発売された、アクションアドベンチャーゲーム。

※6

SRD=株式会社エス.アール.ディー。1979年に設立された、ゲームソフトのプログラムの受託開発や、CADパッケージの開発・販売などを行う会社。本社は大阪にあり、京都事業所は任天堂本社内にある。代表取締役社長は中郷俊彦氏。

※7

森田和明さん=SRDのプログラマーとして、現在も『マリオ』や『ゼルダ』シリーズなど、数多くの任天堂ソフトの開発に関わる。株式会社エス.アール.ディーの取締役。

岩田

森田さんはSRDさんで
社歴の長いプログラマーさんですよね。

森田 和明 株式会社エス.アール.ディー 取締役

中郷

はい。『スーパーマリオ』の
ハンマーブロスを生み出したのも彼です。
それに彼は、とても釣りが大好きで・・・。

青沼

いまでこそ、据置機の『ゼルダ』には
釣りゲームが定番のように入ってますけど、
元はと言えば、森田さんが
『夢をみる島』でつくったのがはじまりなんですよね。

手塚

そうそう。

中郷

彼は頼まれもしないのに
釣りゲームをつくるような男ですから。

岩田

それほど釣り好きなんですね(笑)。

手塚

だから、森田さんがつくる
釣りゲームはすごく完成度が高いんです。
その彼が、当時SRDさんに1台だけあった
ゲームボーイの開発ツールを使って
『ゼルダ』っぽいものをまず再現したんです。

岩田

ゲームボーイでどんなことができるのか、
実験していたんですね。

手塚

そうなんです。
とくにゲームボーイの『ゼルダ』をつくるという
プランニングではなかったんですけど、
試しに動かしてみようと。
なので、最初は正式なプロジェクトではなかったんです。
そこで、定時までは本来の仕事をして、
放課後に、ちょっとクラブ活動のようにはじまって・・・。

岩田

ちょっとクラブ活動?

中郷

まさにクラブ活動でしたね(笑)。

岩田

いまでは考えられない話ですね。

手塚

いまは絶対にできないです。
で、そんな感じでやってるうちに、モノクロだけど
意外と表現力がありそうだということがわかってきて、
そのときゲームボーイで開発するのは初めてだったので、
それがけっこう楽しくて。

岩田

ゲームボーイが出てからどれくらいでした?

手塚

どれくらいでしたっけ?
・・・ゲームボーイが出たのはいつでしたっけ?

岩田

ゲームボーイが出たのは1989年で、
スーパーファミコンが90年に出て、
そして『神々のトライフォース』が・・・?

手塚

91年ですね。
そこで、ゲームボーイで『ゼルダ』を
本格的にやりたいとお願いして、
そのときにもう1台開発ツールを増やしてもらいました。

岩田

かわいい話ですね(笑)。
「本格的にやりたい」と言って、
1台だった開発ツールが2台になっただけですか。

中郷

(笑)

岩田

古きよき時代の、
コンパクトなプロジェクトの感じがありますね。

手塚

ただ、そのときは
まずは『神々のトライフォース』を
ゲームボーイに移植するようなイメージだったんです。