坂本賀勇 GDC講演内容

さて、ゲームのご紹介はここまでにさせていただき、
いよいよ今回の主題についてお話ししようと思います。

そもそもなぜ、私のような者がここに立ってしゃべっているのか?
岩田が抱いた謎とはなんなのか?
実は、弊社社長・岩田聡が、私の作風に「ある興味」を抱いたことが、
このスピーチのきっかけであり、本日お話しさせていただくテーマです。

岩田は、シリアスでストーリー性の高い『METROID Other M』と
コミカルでエキセントリックな『トモダチコレクション』や
『メイドインワリオ』のプロデューサーが同じ人間、
つまり私であるということに興味を抱きました。

ゲームというくくりの中で真逆に位置するタイプのものに、
「どういうスタンスで、どういうアプローチを私が行っているのか?」
ということに説明を求めたわけです。

「そのダイナミックレンジの広さの秘密を紐解くことで、
きっとおもしろいものが見えてくるはずなので、GDCで話してみてはどうだ?」と・・・。

岩田にそう薦められたものの、当の私はちょっと戸惑いました。
なぜなら、自分はこのことに特に何も意識していなかったからです。

確かに「作風がバラバラ」と、今までに他人から言われたことは何度かありました。
それぞれのタイトルに対し、「自分はどういうアプローチをしているのだろう?」
「そもそもプロデュースとはどういうことなのだろう?」 
これらは案外即答が難しいことだと気づきました。
物事を、特に感覚的な行為をロジックに当てはめるのが苦手な私ですが、
この機会に「自分のゲームづくり」について少々掘り下げてみることにしました。

さて「ゲームというくくりの中で真逆に位置するタイプのもの」を説明しやすいように、
『METROID』のようなシリアスなタイプのものを「シリアスタッチ」、
『メイドインワリオ』のようなタイプを「コミカルタッチ」と呼ぶことにしました。
ちなみに岩田はおそらく、
私が「シリアスタッチ」と「コミカルタッチ」の両極端に、
どう折り合いをつけているのかを不思議がったというより、
私に「シリアスタッチ」なものが作れる、
ということを不思議がっているんだと思います。
私が岩田から「コミカルタッチな奴」だと思われていることは
正しく自覚しておりますので。

ここで若き日の私が出会った、1人の映画監督についてお話したいと思います。
その人の名はダリオ・アルジェント(※17)。イタリアの映画監督です。
彼の代表作『Suspiria (サスペリア)』(※18)と、『Deep red』(※19)は、
現在の自分のモノ創りに決定的なインスピレーションを与えたことは間違いありません。
元々恐怖映画に興味のあった私ですが、
当時のほかの作品を心から支持することができませんでした。
「何か違う」というフラストレーションを常に感じていました。
やがてアルジェント氏の作品に出会い、
この監督の手法の斬新さに度肝を抜かれたのです。
自分の感性が求め続けていたスタイルがそこには全てありました。
そして漠然と彼のような作品を作りたい!と思うようになりました。
彼の手法の要素を、私はこう理解していました。

※17

ダリオ・アルジェント=数多くのホラー映画を手がけてきた映画監督。イタリア出身。

※18

『Suspiria (サスペリア)』=1977年に公開されたホラー映画。「決して1人では見ないでください」のコピーが話題になった。

※19

『Deep red』=『サスペリアPART2』の英題。日本では1978年公開。

作り手は“ムード” “間” “伏線” “コントラスト”をコントロールして、
観衆を恐怖させるのだと。

“ムード”は音楽が支配するものだと知りました。
彼が採用した音楽はプログレッシブ・ロックでした。
プログレ(※20)の硬質で無機質な淡々とした響きは、直接的に恐怖感を煽ろうとする、
それまでの恐怖映画で使用されていた音楽の何十倍も効果的でした。
そして彼はその音楽を、絶妙の“間”とタイミングで停止させ、
SE(効果音)を割り込ませたりすることでムードを一変させました。

※20

プログレッシブ・ロック (Progressive rock)の略。1960年代後半にイギリスを中心に生まれたロック音楽の1ジャンル。クラシックやジャズなどの要素を取り入れ、複雑な構成やフレーズを用いている。

また彼は、恐怖を増幅させる仕掛けにも周到でした。
いわゆる“伏線”によって前後の事象を効果的に関連付けることに長けていました。

そしてストーリーやシーンなどにダイナミックな“コントラスト”をつけ、緊張感を高めます。
アルジェント氏に、感性を強烈に刺激された若き日の私は、
やがてそのインスピレーションを実践するチャンスを得ました。
前出の『ファミコン探偵倶楽部PARTII うしろに立つ少女』で、
“ムード” “間” “伏線” “コントラスト”のコントロールを実際に行いました。
つまりこのタイトルは彼の作品へのオマージュなのです。

この経験によって、ゲームにおける自分自身の演出手法に確信を得た私は、
その後のタイトルで、この手法を使い続けてきました。
最新作『METROID Other M』ももちろん例外ではありません。

未熟な頃から今に至るまで、私のゲーム制作における定番手法となった
“ムード” “間” “伏線” “コントラスト”のコントロールですが、
実際は特別なことではなく、ごく一般的な手法であることは早い段階で気づきました。
にもかかわらず、わざわざ皆様方にお話ししたのは、
恐怖表現の理想形を求めていた私の心が、
私をこの手法に導いた・・・ということを伝えたかったからです。
そして自分の感性が探り当てたものを、
自分もまた誰かに伝えようとしているのかもしれない・・・
ということをお話ししておきたかったのです。

アルジェント氏の作品との出会いをきっかけに、
私はたくさんの映画を観るようになりました。
恐怖映画に限らない、
色々なタイプの“ムード” “間” “伏線” “コントラスト”の手法を学ぼうと考えたのです。

色々な作品を観ました。
カルト・ムービーと言われているものに、たくさんのヒントが隠されていることを知りました。
その頃から、頭の中での映像化・・・妄想癖とも言いますね、が激しくなったように思います。
冗談のようですが、客観視点、カット割りあり、BGMつきの夢をたまに見るようになりました。

良い映画を求めていた当時の私ですが、
ハリウッド超大作系の映画にはあまり食指が動きませんでした。
最近では特にその傾向が強いです。
どこまでもニッチ志向なのでしょうか。

ちなみに私がインスピレーションを受けた、
映画監督とその代表作には以下のようなものがあります。
フランスの映画監督、リュック・ベッソン氏(※21)
私に強いインスピレーションを与えてくれた1人です。
「哀愁の描き方」が非常に深く美しいと思います。
最も好きな作品は『レオン』(※22)ですね。

現在ハリウッドで活躍中のジョン・ウー監督(※23)も大好きな監督です。
特に香港時代の作品『男たちの挽歌』(※24)シリーズから大いに刺激を受けました。
暴力に滲む哀愁がすばらしいですね。
当時の香港映画に顕著な、痛々しいまでの描写には学ぶものが多くありました。

ブライアン・デ・パルマ監督(※25)にもインスパイアされました。
『キャリー』(※26)のラストシーンに強く刺激されました。

※21

リュック・ベッソン氏=『レオン』や『トランスポーター』などを製作した映画監督。フランス出身。

※22

『レオン』=1995年に公開されたアクション映画。ジャン・レノやナタリー・ポートマンらが出演。

※23

ジョン・ウー監督=『フェイス/オフ』や『ミッション:インポッシブル2』、『レッドクリフ』などを製作した映画監督。中国出身。

※24

『男たちの挽歌』=1987年に公開されたアクション映画。ティ・ロン、チョウ・ユンファらが出演。ジョン・ウー監督作品。

※25

ブライアン・デ・パルマ監督=『スカーフェイス』や『アンタッチャブル』、『ミッション:インポッシブル』などを手がけた映画監督。アメリカ合衆国出身。

※26

『キャリー』=1977年に公開された、スティーブン・キング原作のホラー映画。ブライアン・デ・パルマ監督作品。

ここで映画について少々補足させていただきますが、
私は映画が好きで多くの映画を観て、多くの刺激を受けてきましたが、
決して映画マニアではありません。
前述の監督方の映画を全て観たわけでもないですし、
他人が驚くほどの本数を観たわけでもありません。
映画への憧れは人一倍強いですが、
そこにコンプレックスを抱いていたり、
最終的に映画監督になりたいとは思っていません。
あくまでも、映画から受けた感動や刺激をゲームの中に持ち込もうとして、
自分の引き出しを豊かにしているイメージなのです。

真におこがましい話ですが、これらの偉大な監督から受けた影響は、
私の制作するタイトルの随所に滲み出ていると思います。
近い将来『Other M』をプレイしてくださった方が、
それらに気づいてもらえることを密かに楽しみにしています。

映画からの刺激を求めてきた私ですが、
もちろん映画にしか興味がないわけではありません。
いくつかある趣味の中でも、特に音楽は映像とのシンクロということも含め、
付き合いの長い趣味です。
その私が幼い頃から今もなお、強い興味を示し、こだわり続けているものがあります。

それは“笑い”です。

おもしろいもの、笑えるものが大好きなのです。
「何か笑えるものはないか?」「おもしろいネタは転がっていないか」と、
1日のうちのけっこうな時間、これに意識を向けていると断言できます。
「笑いたいのか?」と、言われればもちろんそうですが、
実は自分自身を面白がってもらえるためのネタを求めているのです。
コメディアンではありませんので、
大勢の人を爆笑させる、というようなことができるわけではありません。
日常生活の程よいスパイスとして、
一緒にいる人が面白がってくれると自分もうれしい・・・というイメージです。
というと、非常にライトな印象を持たれると思いますが、
これがなかなか周到なのです。

普段から感覚を研ぎ澄まし、使えそうなネタを見つけては、
秘密の引き出しにしまっておくように心がけています。
できるだけ、あらゆるシチュエーションや相手に対応できるように、
品揃えは豊富にしておきます。ただし、自分の感覚に合わない笑いは無視します。

高品位なネタを掘り当てたり、思いついたりした場合は、
そのネタを発する際のシミュレーションを頭の中で繰り返し、
ベストパターンを目指します。
「なぜそこまでしてウケたいのか?」ということを、
これまで意識したことはなかったのですが、
今回、このお話をするにあたって考えてみた結果、
自分が「“笑い”をコントロールしたい」と考えている、ということに気づきました。

しかもそこで使っている手法は結局、
“ムード” “間” “伏線” “コントラスト”だったのです。
この場合、“ムード”は“作る”というより、“読む”ことが大切です。
“間”すなわちタイミングも重要です。
複数の人がいる場合は、皆が一瞬黙る、会話の谷間を逃すと全てを失います。
使いたいネタへと話題を誘導するのは“伏線”そのものです。
そして“コントラスト”、緩急をつけることの大切さは言うまでもありません。

さて「岩田社長が疑問に思う、私のゲーム制作」の核心に、かなり迫ってまいりました。
私の中の“笑いへの執着”と、“映画からの刺激”については、
それぞれ「コミカルタッチ」、「シリアスタッチ」のゲームに
影響を与えていると考えられます。

岩田の言葉を借りれば、真逆に位置するタイプのもののはずです。
私は、それぞれに対し、別のスタンスでアプローチを行っているのでしょうか?

私は「シリアス」「コミカル」に関わらず、
自分が興味を刺激されたものに強く反応し、
「いつか使うもの」としてそれぞれの引き出しに蓄積して、
最も適切だと思われる状況に応じて打ち出していたのです。
それを的確に表現するための手法はどちらも共通していました。
そうです、ゲームの流れにおける“ムード”“間”“伏線”“コントラスト”を
作り手がコントロールすることだったのです。

人が「おもしろい」とか「かっこいい」「こわい」とか感じることは
「心が動く」と言い換えることができると思います。
そして、それに至るメカニズムは、
動きのタイプに関わらず同様のプロセスから導き出されるのです。

つまり作り手は受け手の心の動きをイメージしながら、そのコントロールを行います。

そして、それを効果的に行うためには、自らが色々なものに触れて感じとった経験を、
肌感覚として身につける必要があるのです。
それは普段の姿勢、つまり引き出しを豊かにしてゆく過程で育まれるものだと考えます。

だから岩田が私に抱いた疑問は、自分がたまたま「シリアス」と
「コミカル」の両端に対し貪欲なタイプであったためチャンスに恵まれた・・・
という言葉で説明がつくように思います。

では今回のテーマ「岩田社長が疑問に思う、私のゲーム制作」の結論をまとめましょう。 

ゲームというくくりの中で真逆に位置するタイプのものに、
「どういうスタンスでどういうアプローチを私が行っているのか?」 
という岩田の疑問に対する答えは・・・

「特に違いはありませんでした」と、いうことになります。

ただ、それはあくまでも手段の話です。
本当の答えはこんな感じではないでしょうか?

「色々なものに共鳴できる感性と、それを貪欲に掘り下げようとする心があれば、
共通の手法によって、人の心をさまざまな方向に動かすことが可能だと考えられる」

この考えが正しいかどうかの判断は、皆様にお任せしたいと思います。